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1. 私のベルリンの始まり [1986年~91年東ドイツ回想録]

1987年4月 ベルリン ブランデンブルグ門 西側より撮影 

私は1986年~1990年までの5年弱を夫の駐在に伴い、当時まだドイツが東と西に分断されてい
た時代の東ベルリンに住むことになった。
当時はまだ「冷戦」の時代。今では小学生の社会の歴史テストに出てきそうな言葉だが、いや実に
本当に確かに冷戦の時代だった。
飛行機はソ連の上を飛べないからアンカレッジ経由の北極まわり。その時代の皆様には共感していただけると思うが、ヨーロッパって遠かった。
こんな遠いヨーロッパのしかも社会主義国である東ドイツに住むなんて・・どんな所だろう・・
生活物資は?病院は?戦争の危険は?・・・など不安ばかりだった。

西ベルリンのテーゲル空港に降り立った私は数ヶ月先に赴任していた夫が車で迎えに来てくれていて、自宅のある東ベルリンへ向かう。途中、西ベルリンのスーパーで食料品を買いだめた。
国境検問所であるチェックポイントチャーリー(Friedrich str.)で車ごと検問を受け
緊張のうち無事通過。ここからは東側。
高級高層アパートと称される外国人専用のアパートに着いた。国境のチェックポイントチャーリー
からは徒歩でも3分くらいのところだった。
自宅のあるアパートの9階の窓からは壁のムコウの西ベルリンが見えて、寝室側の裏手の窓からは
ドイツ教会、フランス教会がすぐ臨めた。今でこそ絶好の観光スポットに住んでいたことになる。

さてここが、これからはMy Home。
窓を開け、風を入れて・・ドイツの香りを吸い込む。清清しい気持ちになった。
その日から、東西を、ベルリンの壁を自由(?)に往復する日常が始まった。
今から20年近くも前の話である。




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コメント 14

noie

rinoさん、こんばんは。冷戦時代の東ベルリン、ご主人様がいらしたとはいえ、お心細かったでしょうね。1975年にベルリンを訪れてブランデンブルグ門の前で同じような写真を撮りました。アンカレッジ経由世代です。91年に訪れたときは、この広場で露天商が、壁の石を売っていました。「ベルリンの秋」の中かかれた検問所のシーンが重なりました。続きをとても楽しみにしています!
by noie (2007-07-25 00:14) 

めぎ

アンカレッジ経由!そうでしたねえ、でもわたし、帰国はモスクワ経由だったんですよ、どうしてでしょう。日本の飛行機でしたが・・・今となってはわかりません。
私がベルリンに行ったのは84年8月で、ほんの一週間です。東に入ったのは一日だけ。強烈な記憶ですが、でもやっぱり、ただの旅行に過ぎません。暮らした体験談を伺うのはわくわくします!
by めぎ (2007-07-25 07:16) 

もとこさん。

80年代に日本からヨーロッパに行くには、モスクワ経由、北廻りのアンカレッジ経由、南廻りの選択肢がありましたね。この順に所要時間が短くて。今のような直行便が鳴り物入りで登場したのが、80年代の終わりの頃でしたかしら…
なつかしいですね。
by もとこさん。 (2007-07-25 13:03) 

もとこさん。

ベルリンの壁が崩れた時、はっきり覚えています。歴史ってこんなに突然変わるものなんだって。私には突然に見えましたが、でも実はそこまで行くのに長い年月があり、人々の苦しみや戦いがあり、多くの血が流された事でしょう。
rinoさんの目でご覧になったドイツの様子、楽しみにしてます。
by もとこさん。 (2007-07-25 13:23) 

なお

私にとってのドイツは教科書の中と、映画だけ。
なので、ドイツに対してはマイナスイメージが・・・(ごめんなさい)
さて、冷戦当時のドイツはどんな?
rinoさんのお話、楽しみです。
by なお (2007-07-25 16:37) 

rino

noieさま
そうですね。私はとても心配性なので行く前の方があれこれ不安が大きかったです。案ずるより産むが易し・・とはこのことでしょうか。現地に着いたら
肝がすわった・・と言いますか・・。
できる限り、夫を頼るのをやめようと心に決めました。
by rino (2007-07-25 20:06) 

rino

めぎさま
当時はと25マルクを1対1で交換させられて1日観光ビザで東に入る手段がありましたね。観光でも東に入るのは、ちょっと勇気が必要だったのではないでしょうか。
by rino (2007-07-25 20:10) 

rino

もとこさま
モスクワ経由があったのでしたね。なぜかしら、当時のソ連の上を飛びたくないという意識があったのでしょうか、南回りは本当に長くて大変ですし、
それでは、アンカレッジしかない!と思っていたのかも。
南回りのフライトはある意味興味深い旅なのでしょうね!
by rino (2007-07-25 20:14) 

rino

なおさま
歴史や文化のアカデミックなお話は他にサイトがいっぱいありますので、そちらにおまかせいたしまして・・(笑) もっぱら一主婦の思い出話のみを時々、ゆっくり綴っていこうと思っています。どうぞお気軽にお越しくださいね。
by rino (2007-07-25 21:09) 

ブルーメン

すごい経験をされたんですね!
ベルリンは欧州に滞在中に旅行する予定です。
主人も楽しみにしている場所なので、ブログ楽しみにしていますね!
by ブルーメン (2007-07-26 00:57) 

めぎ

写真の顔と髪型が違うから疑われて帰ってこれないんじゃないかとか、ずいぶん脅されました。もちろん冗談でしたけど。でも、車の隅から隅までチェックする検問は、やっぱりドキドキしましたよ。
by めぎ (2007-07-26 08:18) 

rino

satoeさま
ベルリンのポツダム広場あたりは全く生まれ変わっているようです。
1998年に8年ぶりくらいにベルリンに旅行で訪れたのですが、壁がどこにあったのか初めての人だとすぐにはわからなくなっています。
ぜひご旅行でベルリンを見てきてくださいね。
by rino (2007-07-26 21:12) 

rino

めぎさま
そうですね。時には簡単に、時には入念に調べられました。車の座席の下とかガソリンタンクまで鉄の棒を入れて調べるんですから。東独人が隠れて逃亡しないか、調べているんですよね。
by rino (2007-07-26 21:16) 

jyoji-san

スゴイ話です。窓をあけると西側が・・・・・・・・住んでいた人の本音が聞けるひとときでした。もっともっと次をよませていただきます。
by jyoji-san (2007-09-07 00:22) 

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