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18. となりのシュテファン [1986年~91年東ドイツ回想録]

冷戦時代の東ベルリン。
話はベルリンの壁崩壊直前の1989年ごろ・・・
外国人用のアパートに住んでいた私達はアパートの周りに常に銃を持った東独の警察官の警備があり常に監視されていた。こんな風に言うと窮屈な感じだが、実際はある意味治安の面では守れれているということなので、逆に安心して住むことができたと思う。
怖そうに立っている秘密警察官でも顔を合わせれば、こちらから挨拶すれば普通に挨拶を交わしてくれる。そんな時、瞳の奥の本来の優しさを私はいつも見逃さなかったものだ。

私達の家は9階だった。同じ階に4つのドアがあって、うちはエレベーターを降りて、
左手の突き当たりだった。うちの隣の家には東ドイツ人の一家が住んでいた。
外国人用のアパートのはずなのだが、このように見張り役として所々に普通の東独人家族を住まわせていたのだ。
見張り役と言っても何をするわけでもない。ただそこに住んでいるだけの役割らしい。
現に何も言ってきたこともないし、特に見張っている様子もない。
ただ、エレベーター前の廊下やゴミ捨てなどで顔を合わせることは度々だったが、
にこやかに、友好的に挨拶を交わすだけである。立ち話もしないし、余計な詮索は一切無しだった。
挨拶以上の言葉は交わさないお隣さんだったが、見ていると、家族構成は両親と小学生の男の子2人の4人家族のようである。もちろん共稼ぎ。服装も生活レベルも東独のごく普通の一般家庭という感じである。

我家に娘が生まれて、やっと春になり少し暖かい陽射しもさすようになると、私はよく乳母車で
家の周りを散歩するようになった。
そんな行き帰りに隣の家の男の子達に会うと娘をあやしてくれたり、ちょっかい出してくれたりするようになった。
ある日、いつものように廊下で娘と遊んでくれていたので
「うちで遊ぶ??」と誘うと、二人は屈託なく、喜んであがりこんできた。
うちにあるものを物珍しそうに見たり使ったりする彼ら。とても面白い男の子たちで
うちにあるものを使って自分達で遊びを考案して娘をあやしたり遊んだりしてくれた。
彼らのご両親も子供のことだから・・ということだろうが、特に何も言ってはこない。


写真右上がアパートの玄関前。こんな広い歩道が続いていて1階は店舗が入っていた。花壇もある。

彼らが何度か家に遊びに来るようになって・・・
私は兄のシュテファンに、どうしても聞いてみたいことを、遂に聞いてみることにした。
果たしてこんな質問をしていいのだろうかと・・すごく悩みながら・・ごめんね・・
「西にはこんなに美味しいお菓子もジュースも、おもちゃも何でもあるのよ。行ってみたいと思わない??」

私はなんと意地悪な隣のオバサン・・
彼らが自由自在には西に行けないのを知っていて、そんな酷な質問をするなんて・・・
でも、でも、でも、本当はみんなどう思っているの??
ここで本音を言っても、私は誰にも告げ口しないのよ!
どうしても、納得できない、腑に落ちない・・・そんな自分の自由主義の国で育ってきた
価値観のもとで聞かずにはいられなかったのだ。

そして、まだほんの小さなその小学4年生くらいのシュテファンが返してきた答に私はまた、
愕然とし、そして徹底した思想教育のすごさを垣間見て驚いた。
「西は犯罪が多くて、失業率も高い。だから僕は行きたくない。」

そうか・・・そうよね。。。
迷うことなく、こうさらっと答えたシュテファンは又、日本製のラジカセのマイクを持って
楽しそうに歌いだした。


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krause

東ドイツのお話を心待ちにしていました。その後、彼らはどのような生活をしているのか、いろいろ想像したくなります。皆、メルケル首相のように力強く生きているのでしょう。
by krause (2007-11-04 18:39) 

noie

小学校4年生で、そのような答えが、さら~っと言えるのは、やはり、
徹底した思想教育なんですね。
by noie (2007-11-04 19:09) 

めぎ

ほう・・・と唸ってしまいました。
東にはそもそも「失業」がないんだから、小学生で「失業率」の意味を本当に分かって言っていたとは思えないし、徹底した思想教育の賜ですね。
反対に、私の方も、小さい頃東側や共産圏は危険な国だと信じていたんです。それもまた、一種の思想教育なのかしら。
by めぎ (2007-11-04 19:22) 

やおかずみ

rinoさん こんにちは
実際住んだ方の、お話だけに迫力もあり、興味深く
読ませていただきました。
by やおかずみ (2007-11-04 19:26) 

rinoさん、こんばんは。
某国の思想教育はこれ以上なんだろうなあ・・・と思いながら拝読しました。
当時東ドイツに住んでいた方々は、ドイツ統一後、西のほうの生活を見て、どう思ったのでしょうね。
しかし「秘密警察官」という響き、異様な感じがしますね。
by (2007-11-04 19:37) 

miffy

小学校4年生でそんな答えがいえるなんてすごいですよね。
学校で習ったことをそのまま言ったって感じですよね。
日本製のラジカセで遊んでる姿を想像すると本音は違うのかなと意地悪く考えてしまいました。
by miffy (2007-11-04 19:39) 

naomama7

なんだか小学4年生の言葉とは思えないですね。
でも今、どんな生活をしているかも気になります。
世界には本当にいろんな国がありますね。
とても興味深い。
またいろんなお話待っています。
by naomama7 (2007-11-04 20:10) 

風船かずら

実際に住んでいらっしゃたrinoさんのお話、興味深く読みました。事実を見ることを重ねることによってしか、真実に近つけないのかもと思いました。
by 風船かずら (2007-11-04 20:47) 

マダム・リー

ふぅむ、スパイ小説などでしかその存在を感じる
ことのできなかった秘密警察に監視される生活、
ちょっと想像がつきません。
といっても案外想像よりは、異常さを感じない生活
でもあったのですね。
本当にシュテファン君達は今どんな気持ちで生活して
いるのでしょう。
学校で習ったことと現実の差異にどんな戸惑いを
感じたのでしょう?
by マダム・リー (2007-11-04 21:00) 

今、シュテファン君達はどのよう暮らしをしているのでしょう。
気になりますね。
またまた興味深いお話をありがとうございます。
by (2007-11-04 21:29) 

mint_tea

今どうされてるんでしょうね…。元気にされてるといいですね。
これよりもっと徹底した思想教育がお隣の国ではされているのかな…と思ってしまいます。韓国人の知り合いが結構いるので、北の話が出てくることが多いのですが、色々考えさせられますね。。
教育とかマスコミの情報の影響力を考えると、ひょっとしたら今の私達自身も偏った情報だけで物事を判断していることも多いんだろうなぁ、と思ったりします。
by mint_tea (2007-11-04 21:36) 

ブルーメン

貴重なお話しありがとうございます!
当時のお嬢さんのお写真も可愛らしいですね(^^)
乳母車にカワイイ日傘が付いて、ヨーロッパらしいです!

私もシュテファン君の回答に驚きました!!!
また色々なお話し待っています!!!
by ブルーメン (2007-11-04 22:59) 

もとこさん。

シュテファン君は意味も分からず、いつも言われている通りに自分も言ったのでしょうね。
それにしても彼が「行って見たい」と思って、子供らしく親にねだっていたら、ちょっと面倒だったかも。
この答えで良かった… と思い、ドキドキしながら読ませていただきました。
by もとこさん。 (2007-11-05 00:53) 

Baldhead1010

国家の情報統制は、かなり怖い面がありますね。
by Baldhead1010 (2007-11-05 06:43) 

Inatimy

親戚に、東京など大都会には、面白いもの、遊ぶところ、いっぱいあるよ、と言われたけれど、小学生の私は、危ないから行きたくない、と答えたことが・・・。 父から、犯罪や事故が多いと聞かされてたからかも。
by Inatimy (2007-11-05 06:58) 

hihimama

興味深く読ませていただきました。日本も戦争時には今では考えられない思想教育がされていたんですよね。。
シュテファンくんは今どこに住んでいるのでしょう。。きっと考えも随分と変わっていることでしょうね。。
by hihimama (2007-11-05 16:11) 

michan

初めまして^^
私のブログにお越しいただきありがとうございました。
私もじっくり読ませていただきました。
子供ながらに何かを分っているのですね。
今この子は、どんな大人になっているのでしょうか_
by michan (2007-11-05 22:41) 

rino

>Krauseさま
その後、逞しく生きていってくれていることを願いますね。
東出身者は経済格差で随分苦労もしたと思います。
by rino (2007-11-06 13:56) 

rino

>noieさま
学校からも家庭からもそのように躾けられていたのでしょう。
大人たちは国の言っていることが本当だとは思ってなかったのだと
思いますが・・・。
by rino (2007-11-06 13:58) 

rino

>めぎさま
だから、教育って責任があるし、大切なことなのですね。
元は同じ国民だったのですから、こうも考えが変わってしまったのは、
徹底した教育をし、逆らえないような体制で取り締まるやり方をしてきたということなのでしょうね。
by rino (2007-11-06 14:05) 

rino

>やおかずみさま
一個人の私が体験した一つの例でしかすぎないのですが、紹介させて
いただきました。読んでいただけて嬉しいです。
by rino (2007-11-06 14:07) 

rino

>bonheurさま
きっと某国はもっとすごいのかもしれませんね。
そして、いつごろからかわかりませんが、東ドイツが某国と決定的に
違うのは、人々が西側のテレビ番組を見ることができたということなんです。電波は国境を越え、そしてちょっとした操作で東でも西の電波を受信できたのです。某国はテレビシステムが大きく違うため受信できないそうですよ。だから統制された情報しか入らないのだとか。。
by rino (2007-11-06 14:15) 

rino

>miffyさま
全くためらいもなくスラスラ答えたので、本当に学校で習っている模範解答だったと思います。資本主義の競争社会の中でひずみのようなものがあるとすれば、何が幸せで何が不幸せなのか・・きっと東の人はその後苦労したのだと思います。
by rino (2007-11-06 14:19) 

rino

>naomama7さま
きっと彼らも20代後半になっているのではないでしょうか。
どこでどのように暮らしているのでしょうか。子供のうちに国が
変わってしまったので、きっと順応できていると思いますが・・
by rino (2007-11-06 14:21) 

rino

>風船かずらさま
平凡な主婦の一つの体験談ですが、お読みくださりありがとうございます。
一つの例ですのでこの時のこの社会を現すものであるかどうかはわかりませんが、私が体験した一つの小さな真実には違いありません。
by rino (2007-11-06 14:29) 

rino

>マダム・リーさま
略してヒミケイと密かに呼んでいました。
壁が崩壊して彼らこそ、その後どういう職業につき、どのような人生を
歩んでいるか、なんだか心が痛みました。
シュテファンたちは子供だったので、きっと新しい社会に順応して
逞しく生きていると信じたいです。
by rino (2007-11-06 14:33) 

rino

>夢空さま
シュテファン達がうちで遊んでいるビデオテープが残っているんです。
とっても明るくて面白い男の子達だったのできっとどこかで逞しく、立派にやっていっていると思います。
by rino (2007-11-06 14:38) 

rino

>mint_teaさま
お隣の国の思想統制はもっと厳しそうですね。
ベルリンの壁崩壊には電波が壁を越え、情報が十分に入っていた要因が
大きいということでした。お隣の国はそれすら、難しい状況のようですものね。
by rino (2007-11-06 14:40) 

rino

>satoeさま
お下がりの乳母車です。日本ではこんな大きいの見かけませんよね。今では死語になったような乳母車ですが、表現がぴったりだったのです。生後半年くらいまでは使いました。
by rino (2007-11-06 14:43) 

rino

>もとこさま
そうですよね。
「西ベルリンはいいな~」と言われたら、一体私はどう返すつもりだったのでしょうか・・でも、こういう模範解答が出されるのはわかっていたような
気もします。ただそこに、もう一言、「行ってみたいけれど・・」という
言葉が付け加えられるかもしれないとは思っていました。
by rino (2007-11-06 14:47) 

rino

>Baldhead1010さま
「本当の事が知らされない、操作されている・・・」というのは
怖いですね。
by rino (2007-11-06 14:49) 

rino

>Inatimyさま
よくわかります。確かに、シュテファンの言葉は、その部分は間違ってはいないなと思ったのです。ただ、西側の負の部分だけを教わっているんだな
と思いました。
確かに都会には犯罪が多いですものね。子供には教えておかなければならないことの一つですものね。
by rino (2007-11-06 14:56) 

rino

>hihimamaさま
過去の歴史をたどるとそういうことはどこでも行われていたことなのかもしれませんね。
シュテファン達は私達のことを覚えているかしら。
by rino (2007-11-06 14:58) 

rino

>michanさま
ご訪問いただきありがとうございます。
昔の思い出話でした。お読みいただきありがとうございました。
by rino (2007-11-06 15:02) 

Mimosa

東ドイツの子供も普通に遊んでる様子から、子供らしい答えを期待していたのですが、あまりにも子供らしくない答え方に驚きました・・・。小さい頃に、思想教育が行き届いているのですね。子供が失業率のことなんて、普通は考えないでしょう・・・!
rinoさんのシュテファン君へのストレートな質問、nice!です!
by Mimosa (2007-11-07 01:48) 

思想教育というのが、子供達にまで徹底しているのですね。
徹底した管理と統制から何が生まれるのでしょうか。
秘密警察官しかりですが・・・・・

お話しを伺うにつけ、過去より現在にいたる、自分の置かれている環境の幸せを感じています。
by (2007-11-07 05:58) 

rose

こうした思想教育、情報統制にじかに触れる機会がおありだったのですね。
もしあの質問が警察側にばれたとしたら、何かお咎めでもあったのでしょうか…。ドキドキしながら読ませていただきました。
by rose (2007-11-07 21:14) 

きまじめさん

東西統一されたとき東の生活水準が低くて西の負担が大変だったと
何かで読みましたので、このような美しい町並みであること想像しませんでした。
貴重なお話を読ませていただきありがとうございます。
共産国の思想教育は徹底していたのですね。
言わされているのでなく、そう信じているということが怖いですね。
by きまじめさん (2007-11-07 21:39) 

rino

>Mimosaさま
この質問は、よっぽど親しくならない限り、大人にはできない質問でした。
きっとシュテファンはこのさらっとした会話のことも忘れているかもしれませんね。
by rino (2007-11-08 16:04) 

rino

>自由人さま
いろいろな弊害なども言われる世の中ですが、やはり自由の尊さを
改めて感じる出来事でもありました。
by rino (2007-11-08 16:05) 

rino

>roseさま
あの程度では、きっと何もお咎めはなかったと思います。
やはり外国人ということで特別視されていたと思いますし。
けれど、亡命を手助けするようなことになれば話は別ですが・・
by rino (2007-11-08 16:08) 

rino

>きまじめさま
私たちのいたところは国境検問所に近く、観光客に目につきやすい場所でしたのでいつもきれいに花などが植わっていました。
やはり、統一後はいろいろ大変だったようですね。
by rino (2007-11-08 16:10) 

rino

>オデコ様・xml_xsl様
いつもnice!をありがとうございます。
by rino (2007-11-09 10:22) 

rino

>はっこう様・琉那様・hnberg様
お越しいただきましてありがとうございます!
by rino (2007-11-09 10:25) 

rino

>jules様
いつもnice!をありがとうございます!
by rino (2007-11-09 10:26) 

nachic

自由のある国に住んでいるって、素晴らしい事ですね。
私もずっと昔、友人が某国のヒミケイに監視された事
あると聞いた事あります。当時は、拉致とかも公に知られて
なかった頃で、なんの話なのか、あまりわかっていません
でした。
by nachic (2007-11-12 02:17) 

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