21. 壁開放後、国境警察のひと [1986年~91年東ドイツ回想録]
ベルリンの壁(Wikipediaにリンクします)
今から20年程も前のおはなし。
突然の壁の崩壊・・・
今まで何回か記事にしてきたが、私達の生活は壁と共にあったと言っても過言ではないほど
壁を通過し、壁で待たされ、壁に憤慨し、壁を考え、壁を想い、壁を意識してきた。
(なぜ東ベルリンに住んでいたかはこちら)
東ドイツ人の立場とは全く違う形ではあったが、生活の一部となっていたことは間違いない。
そして夫婦共に愚痴をこぼしたことはなかったが、
それが私達の生活をハードなものとしていたこともまぎれもない事実であった。
東に住居がありながら、生活物資、娯楽、学校、病院・・全てを西で調達していた私達の
パスポートは国境をまたぐたびに押されるスタンプであふれかえっていった。
パスポートは東独日本大使館で増冊され、それでもページがなくなると、新しく作り変える。
出入国のDDR(東ドイツ)のスタンプが所狭しと押される。
スタンプは日付と検問所の通りの名前が入っている。<Freidrichstr Zimmerstr>
しかし、
壁が開放されたのだから、もうこんな手間はなくなったのだ・・・
時に観光客で混んでいる検問所で待たされることも、もうないのだ・・・
ものすごい安堵感で心もスーと軽くなっていったのを覚えている。
壁開放からほどなくして、検問所があった国境には国境警察官もいなくなり、
国境施設だけが取り残された単なる一つの「通り」と化していった。
壁開放からしばらく経ったある日、
家のそばを歩いていると、パスポートコントロールで勤務していた国境警察官の人が
奥さんと一緒に散歩をしているところに行き会ったことがあった。
私と気付いてにこにこしている・・・ほんの少し戸惑った感じだったが、「久しぶり・・!」と挨拶。
私は毎日のように国境を往来していた時期もあり、パスポートコントロールの国境警察の
幾人かの人達とは顔馴染みになったいた。
ある意味、顔パスというのだろうか、もちろんパスはさせてもらえないが、
観光客でごった返している時は私を見つけると列の一番前に来いと目や手で合図してくれて
先に通してくれる配慮をしてくれた。
私はこれでどんなに助かったことだろうか・・・
ベルリンに来て一番初め、夫に
「国境で待たされても、どんなに検査を受けても、文句を言ったりしてはだめ。
彼らはそれが仕事なのだからイライラしてもしかたない。とにかくいつも笑顔で挨拶をするように。」
と教えられ、それを忠実に守ってきたそのお陰だったのだ。
もちろん検問所の中では余分な話などしたことはない。どの警察官も仏頂面で
笑顔を返してもらうことなどあり得ない。
でも道でこんな風に行き会って、「お元気ですか?」なんて声がかけられるなんて・・!
時代が移り変わっていくことを実感として深くかみしめる出来事だった。
しかし、彼らはこれからどのように生きていくのだろう。仕事はあるのだろうか・・?
そんな事を心配しながら・・それでもその日は
普通のおじさんに見えた、かつての国境警察官の優しい笑顔が脳裏に焼きついて
いつまでも嬉しい気持ちでいっぱいだった。
うわわ、このスタンプの数は凄いですね!
今はEU内の行き来もほとんどパスポート検査が無くなりましたから、私のパスポートはなかなかスタンプが増えません。ドイツからオーストリアに抜けると通貨も変わるしスタンプも押された頃と比べると、本当に楽になりました。
昔の手間を思うと、壁を毎日行ったり来たりしていたrino様のご苦労が身にしみてきます。
国境警察官は今どうしているのでしょうね。今でも、公務員の給料体系は西側と旧東側で若干違います。等級が同じでも額が違うんですよ。
by めぎ (2007-11-26 18:35)
いやあ、スタンプ数が多いですね。
スタンプをおさない所が増えたので歴史的な記念になるかな。
by いっぷく (2007-11-26 19:02)
東ドイツに関するお話をお聞きするたびに、いつもしばらくいろいろなことに思いを巡らせます。貴重なお話しを有難うございます。
by krause (2007-11-26 19:22)
スタンプ、凄いですねぇ!
私のパスポートは完全に期限切れ。克スタンプもチビット。
期限切れのパスポート、どこやったけ(汗)
『仕事』だから、彼又は彼女達がしてきた事。
ふたを開ければ良い隣人なのですね・・・
今回は今までで、私的に一番考えさせられました。
人を憎まず罪を憎め~~難しい!・・・・・・・
by なお (2007-11-26 20:20)
色々な呪縛から開放されて自分を取り戻したんですね。
みんな、本当は普通のおじさんやおばさんなんですね。
ドイツに長くこの平和が続きますように。
(ブログイラスト担当のjyoji-sanより)
by jyoji-san (2007-11-26 21:12)
すごいスタンプの数ですね~
毎日でも西に通わなければできない事がたくさんあったのですね。
壁の崩壊後、国境警察官の方がお家の近くでニコニコと挨拶してくれたのもいつもrinoさんがその方に笑顔で対応していたからでしょうね。
by miffy (2007-11-26 21:14)
「国境で待たされても、どんなに検査を受けても、文句を言ったりしてはだめ。
彼らはそれが仕事なのだからイライラしてもしかたない。とにかくいつも笑顔で挨拶をするように。」
という旦那様の言葉にとても感激しました。
なんて素敵な旦那さまなんでしょう。
きっと素敵なご夫婦でしょうね。
by naomama7 (2007-11-26 21:19)
パスポートのスタンプの量が凄いですね!
仏頂面していたおじさんと笑顔で挨拶が交わせるように
なったのが、素晴らしいですね。
頼りがいのある素敵なご主人様ですね。
by noie (2007-11-26 22:29)
パスポートに、列に並んだスタンプの量がものすごくってビックリしました。 私のパスポートなんて、気紛れに離れたページや、好きな場所に押されたりして、ぐちゃぐちゃです。
by Inatimy (2007-11-26 23:44)
壁が崩壊したと言うことは、具体的にこう言うことなんですね。
壁があるって、そう言うことなんですね。
国と国の壁、民族の壁、宗教間の壁、隣人との壁、ひいては自分の心の中の壁・・・ あらゆる壁を取り払いたいですね。
rinoさんはすごい体験なさいましたね。豊かな感性で書かれた記録、大変興味深く読ませていただきました。
by もとこさん。 (2007-11-27 00:33)
追伸。ご主人様の見識、素晴らしいですね。そしてそれを守り、5年後(?)国境警察官の笑顔を喜ぶrinoさん、見事なご夫婦ですね。
by もとこさん。 (2007-11-27 00:33)
北朝鮮の人々が自由主義の世界を知った時・・・。
by Baldhead1010 (2007-11-27 06:44)
万国共通、笑顔(^o^)なんですね☆
いつも、貴重なお話ありがとうございます。
体験もお写真もお宝ですね。
by (2007-11-27 10:03)
rinoさん こんにちは
厳しい環境の中でも、コミュニケーションを築く努力を
されていたrinoさんの様子がよくわかりました。
by やおかずみ (2007-11-27 14:42)
笑顔がお互いに自由に作れる国って、素晴らしいです。
相手が仏頂面だからって、自分もそうなっちゃいけない。
本当に、そうだと思います。ご存知だっただんな様は
すごい人です。どんな時でも、にこやかに暮らしていたい
ですね。貴重なお話をありがとうございます。
by nachic (2007-11-27 20:39)
またもや貴重なお話、ありがとうございます。
どんな状況下にあっても、やはり人は人ですよね。コミュニケーションってホントに大切なんだなあ、と思いました。
rinoさんのご主人も、立派な方ですね。ご家族を全身全霊で守ってこられた方なのだろうなあ、と感じました。
by (2007-11-27 20:43)
今まで東西ドイツの、当事者の人の話や記事を読む機会はあっても、
日常生活に密接に関わっている、第三者の立場としての話を聞くことは
なかったので、rinoさんのお話は本当に貴重です。
街ですれ違って笑顔で声をかけられる日が来るなんて、想像もできなかったと思います。
不思議で理不尽な時代だったんですね…。
しっかりしたご主人と、誠実なrinoさんの頑張りが伝わってきます。
ありがとうございます。
by mint_tea (2007-11-27 21:23)
とても良いお話ですね。
きっと国境警察官の方も顔なじみのrinoさん達と
笑顔で挨拶できるようになったことに嬉しさを感じられて
いたことでしょう。 その後のお仕事については苦労もされた
かもしれませんが。
どんな時も笑顔で人と接することって大切ですね。
rinoさんの笑顔がきっと警察官の方も嬉しく気持ちよく
感じておられたのでしょう。
by マダム・リー (2007-11-27 22:30)
すごいスタンプの数にびっくりです!
壁を通るたびに待たされたり、本当に大変だったんですね・・
笑顔で挨拶、簡単なようで、あのような状況ではなかなか
難しいことだったかもしれませんが、警察官の方の笑顔で
すべて報われたのではないでしょうか?^^
by rose (2007-11-28 00:18)
rinoさま
はじめまして! 「ベルリン中央駅」さんのブログでこのサイトを知り、書き込んでいる者です。大変貴重な東ベルリンのお話、非常に興味深く拝読いたしております。今はすでに消滅してしまったDDRという国での生活体験、是非お差支えのない範囲内で引き続きご紹介いただければ幸いです。私がいつも残念に思っていますことは、このDDRという国(& 東ベルリン)について、あまりにも出版物やネットでの体験情報が少ないと感じていることです。少しでもあの分断時代のベルリンの状況を、当時を知らない皆様にも知っていただきたいと考え、「ベルリン中央駅」さんのブログに時折コメントを入れたりしてきました。また、別のサイト/掲示板に(東西}ベルリンでの思い出話(「個人的事情」を極力排して書くのは大変ではありますが)を連続して投稿したりなどしてきた次第です。
rinoさまのご負担にならぬ程度のゆっくりとしたペースで結構ですので、なにとぞ当時の東ベルリンでの生活を、これからも是非継続してご紹介いただきたく存じます。
敬具
by la_vera_storia (2007-11-28 13:19)
こんにちは。
先程は、ブログに訪問頂き有り難う御座いました。
励まして頂き有り難う御座います。
此からも宜敷 お願いします。
by チャッピィー (2007-11-28 16:11)
ご主人様のアドバイスのお陰で、後にこんな素敵な出来事があったんですね~。
とってもいいお話をありがとうございました。
by (2007-11-28 19:10)
壁の崩壊が、人々の心の中にある、見えない障壁をも取り除いてくれたのでしょうか。
毎回拝読するにつけ、勉強になるばかりです。
いつもありがとうございます。
by (2007-11-29 05:43)
スタンプの多さにびっくりしました!でも、今となっては、当時東から西に通った・・・いい記念ですね。
ベルリンの壁崩壊後、人々の生活に自由やゆとりが出てきた様子がよくわかりました。それまでは仕事柄、仏帳面だった国境警察官の方と、街で出会って笑顔で挨拶が出来るようになるなんて、何とも微笑ましい出来事でしたね~。素敵です・・・☆
by Mimosa (2007-11-29 07:30)
>みなさまへ
いつもお越しいただき、昔話にお付き合いくださいまして
本当にありがとうございます。
当時、東西の往来でスタンプが2つづつ増えていきましたから、あっという間にページは一杯になっていきました。今はどういう措置をとるかわかりませんが、当時は大使館で査証ページをはりつけて増やしてもらっていました。スタンプの数は数えたことがありせん。パスポートは数冊になりました。
国境警備に携わった人や重要な任務に着いていた人たちがその後どのような道をたどられたのか、私の勉強不足で定かではないのですが、東出身ということで格差があったことは確かでした。
めぎさんのコメントにありますように、20年近く経った今でもお給料に差が
あるとはびっくりしましたが、ある意味ではわかるような気もします。
共産国である東ドイツにはサービスという概念が稀なわけですから、
より良い対応を期待してもだめなのです。ましてやあのような国で国境を守る任務の兵隊さんですから行き来する人間を笑顔で出迎えるわけもありません。いくら勉強してきても、自由主義の国からいきなり東の国へ飛び込むとめんくらうことが多いので主人はそのことだけ私に伝えたかったのでしょう。
普段は寡黙な人です。結婚以来言われたことが3つあるとすればこのことが一つでしょう。そのくらい、ああしなさいこうしなさいと言われたことがありません。
主人はこのブログの存在をまだ知りませんから、こんなことで登場しているとは夢にも思っていないでしょう・・・(笑)
みなさま・・温かいコメントをありがとうございました。
by rino (2007-11-29 17:12)
>ゲストの la_vera_storia さま
お越しくださり、コメントをいただきましてありがとうございます。
ご承知のように東ドイツ滞在時代は、東ドイツ人、東ドイツ社会と深く関わることが難しい時代でしたから、うわべだけで感じたままの、私が個人的に見ただけの思い出話をさせていただいています。
今後あと数回、書けそうな予定でおります。
どうぞ、またお立ち寄りくださいませ。コメントもいただけると嬉しいです。
by rino (2007-11-29 18:54)