19. ドイツ ベルリン 壁のある街 [1986年~91年東ドイツ回想録]
ドイツ・ベルリン・・・ベルリンの壁(ベルリンの壁について簡単にまとめた記事)
壁のある街・・・壁のあった街。
壁の建設が始まった年・・・1961年
壁が崩壊した年・・・1989年
西ベルリンを取り囲む壁の長さ・・・約155km
そのうち、壁の東西ベルリンの境の長さ・・・約43km
壁の高さ・・・約3m~4m
壁を越えようとして失敗、死亡者・・・約230人
壁を越えようとして失敗、逮捕者・・・約3000人
壁を越えること成功、亡命者・・・約5000人
20年前に買ったポストカード。すべて西ベルリンで買ったもの。
(すべて西側から撮影されたもの)
西側から撮影されたブランデンブルグ門と壁。
ベルリンの壁、東側では夜間は街灯が周囲を照らし、監視塔だけで約300ヶ所。
監視兵は約14000人。番犬は600頭。東ドイツがいかに必死になって自国民の逃亡を食い止めようとしていたかがわかる。西側からはこのように写真を撮ったり、壁まで近づいたりは簡単にできたが、東側でははまずそのようなことはできなかった。壁に向かって走ろうなどしたならば国境警備兵に撃たれかもしれないのだ。
実際には、場所にもよるが、壁の向こうの東ベルリン側には、フェンス・パトロール用舗装道路・溝・足跡のつく砂地・番犬・鉄条網・亡命を探知するケーブル・金網・東側のコンクリートの壁など数十メートルの分離帯があり、東からの逃亡する者は監視兵に容赦なく射殺された。 要するに、幅数十メートルに及ぶ二重の壁が西ベルリンを取り囲んでいたことになる。
これは西側から見た国境検問所(西側の呼び名チェックポイントチャーリー)。
国家の重要機密施設である国境検問所の東側からの写真は当然あるはずがない。
ある日、向こう側(東側)から車で強行突破事件が起こり、その後、この検問所内の車線も
蛇行するように変えられた。
時々、このような亡命者の突破事件が起こるので、真っ直ぐだった車線は度々変更された。
左上、及び右下の写真に見える手前の小さな小屋。アメリカの国旗が掲げられている。
それが実は西側の検問所。これをチェックポイントチャーリーという。
ここでは、もちろんノーチェック。
西ベルリン側に面した壁。このように落書きされているのはもちろん西側である。
チェックポイントチャーリー跡のすぐ近くに「チャックポイントチャーリー博物館」というのがある。ここには東ドイツの人たちが、どのように西側に逃げたのか、様々な手段が実物大の模型を使って紹介されている。壁の下にトンネルを掘って逃げた人、トラバント(東の自動車)の後部座席の下に隠れて逃げた人、また、気球にのって空から逃げた人の記録映画・・・等々、いろいろなアイデアで自由を求めて西側へ行こうとした人々の熱い想いが伝わってくる博物館である。
次回、私の体験した「ベルリンの壁崩壊のとき」を綴りたいと思います。
どうか、お付き合いください。
rinoさん こんにちは
迫力ある記事でした。ありがとうございました。
次の「ベルリンの壁崩壊」の話楽しみにしています。
by やおかずみ (2007-11-08 17:14)
なんだか胸騒ぎというか、ドキドキしてしまうほど、
壮絶な感じです。
写真と文章を照らし合わせていると
なんだか怖くも感じられました。
それほど、西と東の差があったのですね。
いろんな世界をみられることに、感謝です。
by naomama7 (2007-11-08 17:30)
またまた貴重なお話とお写真をありがとうございます。
次回、ベルリンの壁崩壊の時はどうだったのでしょう、、
ドキドキです(@_@)
by (2007-11-08 20:13)
TVや映画の中で見ていたベルリンの壁ですね。
つい20年余り前のことなのに遥か昔のような気がします。
by miffy (2007-11-08 21:42)
壁一枚でしか隔たれてないというのに、
東側からみたら、とても手が届くような
距離ではなかったのですね。
撃たれるのを覚悟で壁を越える人々、
それほど東側の生活は厳しかったのですね…
by rose (2007-11-09 00:19)
すっかり遠い昔のように感じますが、崩壊したのが、ほんの18年前だったんですよね・・・。
by Inatimy (2007-11-09 00:22)
壁があった頃にその地に行ったことがある者としては、いまだに壁がないことが信じられない気分です。rino様の体験談、ドキドキしながらお待ちしてます。
by めぎ (2007-11-09 05:01)
世界には壊さなければならない壁がまだいくつもありますね。
by Baldhead1010 (2007-11-09 07:20)
rinoさんのご経験談やお写真、刺激的ですね!!!
ベルリンの壁は興味深いので、次回の更新楽しみにしています!!!
by ブルーメン (2007-11-09 17:29)
こんばんは^^
ご訪問ありがとうございました^^
ベルリン、また機会があれば行きたいです^^
by Ballacki (2007-11-09 18:26)
ベルリンの壁は、想像していたよりずっと厳しい状況だったことを知りました。
rinoさんのご覧になったベルリンの壁の崩壊の様子・・・お待ちしています。
by きまじめさん (2007-11-09 20:44)
東側の警備体制を読むと、怖くなりました。
今読むと、随分昔に感じますが・・・
次回も楽しみにしております。
by noie (2007-11-09 22:21)
壁を越えようとして失敗した3000人の方達の運命は
どうなったのでしょう・・・・
最後の壁の穴から可愛い坊やの顔がのぞいているカード
にホッとさせられます。
昔は東西の壁があることが当たり前だったのに、今では
言われなければもうすっかり忘れています。
多くの人の命をうばったり運命を変えた壁なのに・・・
by マダム・リー (2007-11-09 23:51)
穴からのぞくちびっこの写真が印象的です。切ないですね。
手が届きそうで届かない世界は、わずかな隙間からでも、
のぞくしかなかったのでしょうか。
次回の崩壊の巻も是非読ませて頂きます。
by (2007-11-11 00:13)
貴重な情報を有難うございます。
毎回楽しみにしています!
by krause (2007-11-11 07:59)
お久しぶりでございます!
壁のお話、久しぶりにじっくりと読むことができました・・
次回、読むのがどきどきします・・
前出の思想教育された東ベルリンの男の子、
東に住むしかなければ、かえってそう思えていたほうが
幸せ・・・?うーん・・・
by なお (2007-11-11 14:49)
絵はがきから漂ってくる雰囲気が悲壮というか切ないですね…。
今でこそこうして、客観的に見つめ直すことができるけれど、
当時をリアルタイムで生活しつつ中にいた人々にとっては、どんな気持ちだったんでしょうか。
崩壊を目の当たりにしてしまった東西の人々、ひとりひとり複雑な感情だったんでしょうね・・・
by mint_tea (2007-11-11 17:16)
>みなさまへ
ご訪問、そしてご一読くださりありがとうございます。
私の印象は、もう18年もたってしまったのか・・という感じです。
それもそのはず、ベルリンで産まれた娘はもう19になろうとしているの
ですものね・・・^^;
ベルリンの壁に関しては、スパイ小説に出てくるようなもう昔話の一つにようになってしまったような感じですが、亡命や突破事件は度々起こっていたことで本当のお話なのです。
私のような普通の一人の主婦が見たベルリンの壁崩壊・・
次回もどうかお付き合いいただけると嬉しいです。
by rino (2007-11-11 18:13)
貴重な体験と写真、ありがとうございます。
by nachic (2007-11-12 02:21)
こんな絵ハガキが有る事に新たな驚きを感じました。さすがに目の付け所が違うなあとおもいました。もう売ってはいない貴重な物なのでしょうね。
by jyoji-san (2007-11-25 21:38)