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22. ベルリンの壁開放後 人々の歓喜 [1986年~91年東ドイツ回想録]

1989年11月9日 ベルリンの壁開放

もう随分昔のお話なのだが・・
世界中に流されたベルリンの壁開放のドイツ人の歓喜の様子の映像を覚えいらっしゃるだろうか・・

そのおよそ数日後の週末、国境検問所(Friedrich Str.)チェックポイントチャーリーの様子。
西ベルリン側から撮影した写真。(車の中から撮影。)

東ドイツ車のトラバント。皆、西ベルリンを見てきて帰るところなのだろう。

下の写真はこれから東ベルリンを見に行く西ドイツ人や、西ベルリンへ遊びに行っていて
東へ帰る東ドイツ人で歩く人用の通路がある建物も、人があふれて大混雑になっている。
この時はまだパスポートくらいは見せていたかもしれないが、ほとんどノーチェックに等しい
状態だったと思う。
この建物の中は人が通れる通路は1本。行きも帰りもその1本の通路を使う。
しかも人が一人づつしか通れないようにくなっている。
パスポートコントロールの窓口もどんなに混雑しようとも一つしかなかったことからも
いかにそれまで国境を頑なに守ってきたかがよくわかる。
建物は一見広く見えるかもしれないが、多くの扉は締め切りになっていて、
まるでお化け屋敷の通路のようだと言えばちょっと想像がつくだろうか。
これだけの人が詰め掛けると、いくらノーチェックでも通るのに時間がかかってもしかたがない。

私達がいつも通っていたこの国境の丁度真下には、かつて東西を通している地下鉄の
使われていない線路があった。現在はもちろんU6として走っているわけだが、
東西が分断されていた時代には国境近くの東側の地下鉄の入り口は鉄の門で
硬く閉ざされていて立ち入ることはできなかった。
そして、壁が開放してしばらくすると、地下鉄の門も開けられ、大きな工事もなくいとも簡単に路線を再び開通させた。
塞がれることがなかった線路のトンネルの中には、40余年前の空気がそのまま閉じ込められているようだった。
目をつぶると、東西分断の悲しい歴史をたどる前の活気ある人々が縦横無尽にこの電車に乗って
自由を謳歌していたのだろうと、見たこともない昔を想像させられた。
私は自宅のアパートのすぐそばにある最寄の地下鉄の駅「Stadtmitte」から電車に乗り、
わずか一駅西側のKochStraß駅に着いたとき、
体制の違う国同士だったが、やっぱり一つの街だったのではないか!・・と
わかりきっていた事を改めて、むざむざと思い知らされたのだった。
亡命しようとして命を落とした人、なんとか乗り越えようとした人々の気持ち・・
それまでの私の国境の往来は何だったのだろう・・・

いろいろなことが壁開放と共に怒涛のように自由へと流れ出していった。

壁開放のドイツ人の喜びを、少しばかりでも日本人の私なりに感じる日々を過ごしていた。


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コメント 15

めぎ

ほんと、一駅なんですよね・・・
そのトンネルを、東ドイツ側が塞がなかったのはなぜなんだろう、と時々思います。
ベルリンは東ドイツの中にあったから、いつかはベルリンを全部支配するつもりだったのかなあ、それとも、ほんとうは一つの街、一つの国なんだ、という意識を東側も持っていたのかしら、それで塞ぐには忍びなかったのかしら・・・なんて考えたりしてます。
by めぎ (2007-11-29 18:44) 

なお

↑めぎ様のコメント・・・
『ほんとうは一つの街、一つの国なんだ』と
みな思っていたのかもですねぇ。
だから、いつか使える日が来るとふさがなかったのかも・・。
じゃあ、そんな民意(広義ならばヒトとして)を無視して
誰の利益のために壁を作ったのかと。
堂々めぐりじゃ。
しかし、壁はなくなった。
でも、ある種の差別は生きてるのですね・・・
by なお (2007-11-29 21:03) 

miffy

国境検問所に並ぶ車が時代を感じさせますね~
バカンスに出かける時の渋滞みたいですね^^;
by miffy (2007-11-29 23:39) 

もとこさん。

歴史が一夜にして塗り替えられるときがあるんですね。見えない水面下ではどんなに緻密な活動がなされ、血が流された事でしょうか…
rinoさんはすごいときに居あわせましたね。お陰で今こうして18年前の事として読ませていただいていますが、全ての不幸な歴史とその後遺症が昔話になれば良いと切に願います。
by もとこさん。 (2007-11-30 02:27) 

>40余年前の空気がそのまま閉じ込められているようだった。
この一文で光景が伝わってくるような気がしました。
by (2007-11-30 08:07) 

やおかずみ

rinoさん こんにちは
貴重な解放後の混乱した状況、興味深く読ませていただきました。
by やおかずみ (2007-11-30 14:26) 

naomama7

亡命しようとして命を落とした人、なんとか乗り越えようとした人々の気持ち・・それまでの私の国境の往来は何だったのだろう・・
↑本当にそうですよね。それまでの苦労や悲しみもきっと
これからの未来に役立てられるといいですね。
いつも本当に貴重な写真など、ありがとうございます。
by naomama7 (2007-11-30 17:41) 

Inatimy

離れていた親戚に会えた人は、ものすごい喜びを得たのでしょうね。
by Inatimy (2007-12-01 05:30) 

nachic

島国の日本では、普通、国境という観念があんまりピンと
来ないんですよね。こんな厳格に取り締まっていた場所
が、急激に変わって行くのを見ると、良かったというか、
反動として、大きな虚無感がありますね。
車の形が、89年よりも、古いタイプですね。大事に
長く使っているのですね。当時の東ドイツで生産されて
いた車なのでしょうか?
by nachic (2007-12-01 12:18) 

noie

地下鉄が塞がれていなかったことは、驚きでした。
今度ベルリンに行ったら、U6に乗ってみます。
by noie (2007-12-01 21:57) 

mint_tea

そんな地下鉄の空間があったんですね…。
40年以上じっと時を待っていたのかと思うと残酷で不思議ですね。
あっという間に電車さえ通ってしまったことに、喜びと同時に
虚しさを感じた人も多いのでしょうね。
今でも格差はあるのかもしれませんが、壁が壊された意味は大きいですね。
by mint_tea (2007-12-01 23:27) 

自由って本当に近くにあるんですね。
壁さえ無ければ・・・・・・・・車列、人並みに、自由に飢えていた皆様の溢れる思いを感じ取れました。

本当に貴重なお話し、勉強になります。
by (2007-12-02 10:49) 

いっぷく

記事を読みながら当時流された映像を思い出していました。
でも今回のような写真のような光景nものは見た事なかったので
貴重な歴史の写真だなって思います。
by いっぷく (2007-12-02 14:55) 

ひろママ

初めましてお邪魔させていただきますm(_ _)m
そうなのですか~11月9日だったのですね
長男のお誕生日なのでもう忘れません
義妹がその頃ドイツに住んでいましたのでお土産に「壁」を貰って今でも
飾っています
by ひろママ (2007-12-02 17:52) 

rino

>めぎさま
そう・・私も同じことを考えました。
命を落とした人々の事を考えると、もう少し待っていれば・・
とおもわずにはいられませんでした。

>なおさま
そうなんですよね。格差など難しい問題は山積みでした。
でもみんな内心は結局外に出たかったのではないの・・!と。
もっと早くなんとかできなかったものなのかしらとしきりに考えました。

>miffyさま
こうやって昔の写真を見ると車が古いですよね~~
当時の東ドイツ人の服装はだいたいGパンに革ジャンっていう感じでした。

>もとこさま
そうですね。未だに解決できていない同じような問題がありますものね。
でも歴史はいつか塗り替えられるものだと思います。
いつか過ちに気がつくときがきて、人々のエネルギーがそれを動かすのだと思います。

>夢空さま
本当にそういう感じだったんですよ。
一番初めは、電車というかトロッコにでも乗って、トンネルを探検するかのような気持ちで乗ったのです。

>やおかずみさま
かつての検問所がスムーズに整えられるまで少しの間混雑しましたので
私達住民はちょっと大変でした。

>naomama7さま
まだまだ解決していない国、問題が沢山あるので悲しい歴史は未来へと
いかされていくべきですよね。

>Inatimyさま
親戚同士の再会はとても喜ばしいことだったでしょうね。そのように聞いています。私は東でお世話になっていたドイツ語の家庭教師の女性と
西ベルリンで一緒に食事をしたとき、なんとも嬉しかったです。
私が案内したくらいなんですよ。

>nachicさま
車はトラバントと言って東ドイツ製です。すっごく小さくてアルミでできていたんですよ。今でもマニアがいるとか・・

>noieさま
noieさんでしたら、またドイツの方へもお出かけになられますね。
ぜひかつての東ベルリンを見てきてくださいね。

>mint_tea さま
初めて地下鉄で西ベルリンまで行った時は、あまりに簡単に行けてしまうので楽になって嬉しかったのと、でもやはり犠牲になった人々のことを考えると、虚しいような複雑な気持ちがしました。

>自由人さま
本当にそうですね。東ドイツ人のすぐ隣に自由はあったんですよね。
犠牲になった人のことを考えるとやりきれない思いがしました。

>いっぷくさま
ありがとうございます。今回ブログをやるにあたっていろいろ見直してみたら確かに貴重な写真だなと思いました。

>ひろママさま
はじめまして。お越しいただきましてありがとうございました。
11月9日は息子さんのお誕生日なのですね。
冷戦が終わり、平和へと向かっていこうとした記念すべき日だと思います。
義妹さんもちょうと同じ頃ドイツにいらしたんですね・・
よろしかったらどうぞまたお立ち寄りください。
by rino (2007-12-03 16:49) 

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