9チェスキークルムロフ♪ [オーストリア・ドイツ ドライブ2016年夏旅録]
2016年の夏旅のスケジュールをここでまとめておきます。
7月末から8月初旬にかけての7泊9日、50代(後半)夫婦のドライブ旅です。
①7/30 羽田(ANA) [→] ミュンヘン空港(ドイツ) 【ミュンヘン郊外泊】
②7/31 ハルシュタット ゴーザウ湖 (オーストリア) 【ゴーザウ泊】
③8/1 〃 〃
④8/2 〃 〃
⑤8/3 チェスキークルムロフ(チェコ)[→] レーゲンスブルグ(ドイツ)【レーゲンスブルグ泊】
⑥8/4 バンベルグ(ドイツ) 【ベンベルグ泊】
⑦8/5 ローテンブルグ(ドイツ) 【ローテンブルグ泊】
⑧8/6 ヴュルツブルク [→] フランクフルト空港(LH) [→]仁川経由 成田(+1 8/7)
2016年8月3日
朝8時半頃、3泊したゴーザウに別れを告げて次に向かったのはチェコのチェスキークルムロフ!
最初の計画ではゴーザウは2泊で、ここチェスキークルムロフで1泊という予定だった。
それが、天候の心配からハイキングを中心に考えていたゴーザウを1泊追加し、チェスキークルムロフを諦めてドイツ・レーゲンスブルグへ真っ直ぐに行くということで私なりに計画をしていたのだったが、、
夫がチェスキークルムロフを経由してもこの日の宿であるレーゲンスブルグまで5~600kmだったら大丈夫だよというので、私がかねてから行ってみたいと思っていたチェスキーへ立ち寄ることにしたのだった。ここが夫の腕の見せ所である笑
夫はかつて1日でデュッセルドルフからフランスのモンサンミッシェルまで(800キロ)運転したり、またはデュッセルからグリンデルワルトまで(700キロ)などなどなど・・、運転をしているので5~600キロは許容の範囲だと。う~ん、でもそれから10年近く経っているし確実に年をとって体力落ちていると思うんだけどね。。それに何より限られた短い休暇で来ているのだから長い運転をさせてしまうのはなぁ・・とも思っていた。
でも
まぁまぁ、そんな時は夫婦ふたり気ままなドライブ旅なので途中休憩も自由、急な変更もアリなのであせらず参ることにしましょう。
ドライブはオーストリアのザルツカンマーグートを抜けて第3の都市リンツをすっ飛ばしてとっても順調。もうすぐチェコとの国境というところでトイレ休憩。オーストリアの高速道路のサービスエリア。(写真がボケボケ)
チェコとの国境を越えると、心なしか道路も古い感じがする。国境というと様々な歴史を思い浮かべるけどこの時もEUは難民の受け入れなどでかなり揺れていた時だったわね。
チェコに入ってまもなくの車窓。
レンタカー備え付けのナビが道案内で順調にチェスキークルムロフに到着。時間は12時半で休憩を含めてゴーザウから4時間だった。
この街に入ったとたん車が多く、どこのパーキングも満車。やはり世界遺産の人気の観光地だわー。
すぐに入れるパーキングはなくて、空きを待つ車の列に並んで2~30分はかかったと思う。ちょうどお昼の時間帯だったしね。
チェスキークルムロフは大きく屈曲して流れるヴルタヴァ川に抱かれて中世の面影を残す小さな街。
1~2時間もあればざっと見て回れるくらい。
旧市街に入ると、石畳の道を歩いて町散策をした。
カラフルな街並み、可愛いわね~
調べてみると、16世紀にルネサンス様式の建物が数多く建築され、町は色彩鮮やかな華麗な街へと発展した。その後支配が移り変わるうち次第に寂れ、近代化から取り残されいく。
戦後、チェスキー・クルムロフはまだまだ荒廃状態だったそう。ようやく歴史的建造物が徐々に補修されるようになったのは、プラハの春が訪れた1960年代後半以降のこと。
1989年のビロード革命(←Wikipediaへ)以降、町の景観の歴史的価値が再認識され、建造物の修復が急速に進められ、町はかつての美しさを取り戻した。
(rinoもこのビロード革命の頃ちょうどお隣の国、東ベルリンに住んでいたのでこの話はその頃へと思いを馳せる。)
現在は可愛いお土産屋さんが軒を連ねて。
あまり人が映り込まないタイミングを見計らって写真を撮る。
お土産を物色する時間はなかったけどね。
1992年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
赤い屋根が続く街って本当に素敵。なんかいいのよね。
旧市街の中心の広場。
この広場の一角にあったレストランに入って昼食タイム。
チェコの名物のローストポークと付け合わせのクネドリーキ(チェコのなくてはならない主食)。
基本のクネドリーキは小麦粉、卵、牛乳、水をこねた生地を茹でたもの。 こちらは、きのこのリゾット。
チェスキークルムロフは1992年に世界遺産に登録されると、急速に中世の街並みに修復され観光地化されていったそう。この街もかつて歴史の光と影に翻弄され、今は立派に世界で一番美しい街として世界中から観光客が押し寄せる街に発展したのだ。
我々はたった2時間ほどの滞在だったが、それでも十分だったような気がする。
中世の雰囲気がただようとても可愛らしい街並みだったが、、正直rinoは、さながらテーマパークのような雰囲気を感じ取ってしまったのも事実。そうか、、やっぱりここも・・。
2015年の9月に娘とプラハに訪れたときには、日帰りで行こうかと思っていて断念したチェスキークルムロフだった。(プラハから格安のローカルバスが出ていてその予約までしていたけれど、タイトな旅程だったゆえ往復6時間のバスの道のりを考えて、諦めてしまった・・・プラハ旅行の記事もいつかできたらいいなぁ。)
チェスキークルムロフが有名になり、美しい街の写真を目にするようになって「行ってみたいな。」とずっと思っていたのだった。
2015年プラハで食べたのと同じトルデルニーク♪ ここでもお店が数軒。これ美味しかったよね。
この20年で世界中の観光客の数は2倍以上になった。
30年前、いや20年前にでもここを訪れていたらきっときっともっと趣を感じられたことだと思う。
ハルシュタットに続き、チェスキークルムロフ・・観光地化された世界遺産の街。
特にアジア人には大人気だ。
今回の旅で、訪問が実現できてよかった。
ドライバーである夫には感謝だわね♪
世界遺産の街旅はまだまだ続く・・・
7月末から8月初旬にかけての7泊9日、50代(後半)夫婦のドライブ旅です。
①7/30 羽田(ANA) [→] ミュンヘン空港(ドイツ) 【ミュンヘン郊外泊】
②7/31 ハルシュタット ゴーザウ湖 (オーストリア) 【ゴーザウ泊】
③8/1 〃 〃
④8/2 〃 〃
⑤8/3 チェスキークルムロフ(チェコ)[→] レーゲンスブルグ(ドイツ)【レーゲンスブルグ泊】
⑥8/4 バンベルグ(ドイツ) 【ベンベルグ泊】
⑦8/5 ローテンブルグ(ドイツ) 【ローテンブルグ泊】
⑧8/6 ヴュルツブルク [→] フランクフルト空港(LH) [→]仁川経由 成田(+1 8/7)
2016年8月3日
朝8時半頃、3泊したゴーザウに別れを告げて次に向かったのはチェコのチェスキークルムロフ!
最初の計画ではゴーザウは2泊で、ここチェスキークルムロフで1泊という予定だった。
それが、天候の心配からハイキングを中心に考えていたゴーザウを1泊追加し、チェスキークルムロフを諦めてドイツ・レーゲンスブルグへ真っ直ぐに行くということで私なりに計画をしていたのだったが、、
夫がチェスキークルムロフを経由してもこの日の宿であるレーゲンスブルグまで5~600kmだったら大丈夫だよというので、私がかねてから行ってみたいと思っていたチェスキーへ立ち寄ることにしたのだった。ここが夫の腕の見せ所である笑
夫はかつて1日でデュッセルドルフからフランスのモンサンミッシェルまで(800キロ)運転したり、またはデュッセルからグリンデルワルトまで(700キロ)などなどなど・・、運転をしているので5~600キロは許容の範囲だと。う~ん、でもそれから10年近く経っているし確実に年をとって体力落ちていると思うんだけどね。。それに何より限られた短い休暇で来ているのだから長い運転をさせてしまうのはなぁ・・とも思っていた。
でも
まぁまぁ、そんな時は夫婦ふたり気ままなドライブ旅なので途中休憩も自由、急な変更もアリなのであせらず参ることにしましょう。
ドライブはオーストリアのザルツカンマーグートを抜けて第3の都市リンツをすっ飛ばしてとっても順調。もうすぐチェコとの国境というところでトイレ休憩。オーストリアの高速道路のサービスエリア。(写真がボケボケ)
チェコとの国境を越えると、心なしか道路も古い感じがする。国境というと様々な歴史を思い浮かべるけどこの時もEUは難民の受け入れなどでかなり揺れていた時だったわね。
チェコに入ってまもなくの車窓。
レンタカー備え付けのナビが道案内で順調にチェスキークルムロフに到着。時間は12時半で休憩を含めてゴーザウから4時間だった。
この街に入ったとたん車が多く、どこのパーキングも満車。やはり世界遺産の人気の観光地だわー。
すぐに入れるパーキングはなくて、空きを待つ車の列に並んで2~30分はかかったと思う。ちょうどお昼の時間帯だったしね。
チェスキークルムロフは大きく屈曲して流れるヴルタヴァ川に抱かれて中世の面影を残す小さな街。
1~2時間もあればざっと見て回れるくらい。
旧市街に入ると、石畳の道を歩いて町散策をした。
カラフルな街並み、可愛いわね~
調べてみると、16世紀にルネサンス様式の建物が数多く建築され、町は色彩鮮やかな華麗な街へと発展した。その後支配が移り変わるうち次第に寂れ、近代化から取り残されいく。
戦後、チェスキー・クルムロフはまだまだ荒廃状態だったそう。ようやく歴史的建造物が徐々に補修されるようになったのは、プラハの春が訪れた1960年代後半以降のこと。
1989年のビロード革命(←Wikipediaへ)以降、町の景観の歴史的価値が再認識され、建造物の修復が急速に進められ、町はかつての美しさを取り戻した。
(rinoもこのビロード革命の頃ちょうどお隣の国、東ベルリンに住んでいたのでこの話はその頃へと思いを馳せる。)
現在は可愛いお土産屋さんが軒を連ねて。
あまり人が映り込まないタイミングを見計らって写真を撮る。
お土産を物色する時間はなかったけどね。
1992年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
赤い屋根が続く街って本当に素敵。なんかいいのよね。
旧市街の中心の広場。
この広場の一角にあったレストランに入って昼食タイム。
チェコの名物のローストポークと付け合わせのクネドリーキ(チェコのなくてはならない主食)。
基本のクネドリーキは小麦粉、卵、牛乳、水をこねた生地を茹でたもの。 こちらは、きのこのリゾット。
チェスキークルムロフは1992年に世界遺産に登録されると、急速に中世の街並みに修復され観光地化されていったそう。この街もかつて歴史の光と影に翻弄され、今は立派に世界で一番美しい街として世界中から観光客が押し寄せる街に発展したのだ。
我々はたった2時間ほどの滞在だったが、それでも十分だったような気がする。
中世の雰囲気がただようとても可愛らしい街並みだったが、、正直rinoは、さながらテーマパークのような雰囲気を感じ取ってしまったのも事実。そうか、、やっぱりここも・・。
2015年の9月に娘とプラハに訪れたときには、日帰りで行こうかと思っていて断念したチェスキークルムロフだった。(プラハから格安のローカルバスが出ていてその予約までしていたけれど、タイトな旅程だったゆえ往復6時間のバスの道のりを考えて、諦めてしまった・・・プラハ旅行の記事もいつかできたらいいなぁ。)
チェスキークルムロフが有名になり、美しい街の写真を目にするようになって「行ってみたいな。」とずっと思っていたのだった。
2015年プラハで食べたのと同じトルデルニーク♪ ここでもお店が数軒。これ美味しかったよね。
この20年で世界中の観光客の数は2倍以上になった。
30年前、いや20年前にでもここを訪れていたらきっときっともっと趣を感じられたことだと思う。
ハルシュタットに続き、チェスキークルムロフ・・観光地化された世界遺産の街。
特にアジア人には大人気だ。
今回の旅で、訪問が実現できてよかった。
ドライバーである夫には感謝だわね♪
世界遺産の街旅はまだまだ続く・・・
2017-05-11 17:38
nice!(9)
コメント(4)
かわいい街ですね。
トルデルニークは、小麦粉のお菓子のようですけど、見た目、麩菓子みたいですね。もっちりしているのかしら。食べてみたいわ♪
仕事や利便性は住むためには外せない条件だから、昔からのいいところが残されていければいいのですが。観光地化するか荒廃するか、どちらかという選択にはならないでほしいですね。
私も10年前までは、6-700k位なら一人で走っていましたが、数年前から、体調の変化につれ、遠出はしないことにしました。自覚はあっても、年を取れば取るほど、車が必要だったりするんですが。
by nachic (2017-05-12 11:35)
ホントに可愛い街並みですね~
でも、ハルシュタットもそうでしたけど、まさしくテーマパークになってしまった感じ、分かります...
その点、自然の中のハイキングは、変わらず気持ちのいいものでしょうね♪
車の旅、うちも一日の走行距離をゆとりあるものに、と思っているところです。
by めぎ (2017-05-12 15:37)
ビジネスミーティングで、ここに何日か滞在したことがあり、以来チェコ大ファンです。ただ当時は、まだ西側諸国とは違った雰囲気が残っており、肉類がやたらに硬かったのを覚えています。
by krause (2017-05-14 21:03)
nachicさま
トルデルニークは意外ともっちりしたパン生地です。
なちさんもきっとお気に召すと思いますよ。すごくおいしいです。
車の運転が達者でうらやましいです。私も若い頃はずいぶん遠出をしましたが、今は全然だめで・・・
めぎさま
コメントありがとうございます。
チェスキークルムロフは人が住んでるという感じがあまりしなかったのです。だからまさにテーマパーク。たぶん復興はこの20年くらいだから人工的な感じがしたんだと思います。
Krauseさま
コメントありがとうございます。
チェコはビールも美味しくて、東欧の雰囲気を残していてよいところですね。また行ってみたいとお思います。
by rino (2017-06-06 16:55)