モンブラン [フランス思い出の街角]
Dusseldorfデュッセルドルフ→Dijonディジョン→ Beauneボーヌ→ Chamonixシャモニ
→ Annecyアヌシー→ Hauterivesオートリヴ→ Lyonリヨン→ Vezelayヴェズレー
→ Nancyナンシー→ Dusseldorfデュッセルドルフ
2009年8月18日(月)のお話。
前回はシャモニの夕方のお話だけど、これはシャモニ到着ごろのお昼のおはなし。
この日の朝、フランスのボーヌのホテルを車で出発。午前中にはシャモニ・モンブランの街(1036m)に到着予定だった。
雪を被った山が見えてきて、もうすぐシャモニの街ってところで少しの間、道が渋滞。
「ええ、、、!?・・ひょっとしてあれがモンブラン??」
もっともっと谷の奥へ入っていって、そうでないと眺められないと勝手に思っていた私は、憧れの雄姿に、、思いがけず車窓から初遭遇してしまった。
渋滞の車窓からズームアップ。「モンブランはどれどれ?」
きっとあれがモンブラン4810mだ。 雪の帽子をかぶっているね。やっぱり栗ペーストのケーキ「モンブラン」みたい・・?
暑い暑い8月の太陽が、万年雪も氷河もギラギラと照らしている。
左の尖がった山の頂上に、モンブランを間近に眺めることができる世界でも有数の展望台エギュイユ・デュ・ミディ展望台(3842m)がある。
車の助手席から、思わずこんな風に写真を撮っていたら・・まもなく
お昼過ぎに予定よりちょっと遅れてシャモニの街に到着したのでした。
そのエギュイユ・デュ・ミディ展望台(3842m)に上がる様子とそこからの眺めは又次の機会に・・・♪ 乞うご期待!
昨年のモンブラン山郡の雪の写真でほ~んの少し涼を感じていただけたかしら。
まだまだ夏は続きます。どうぞお体ご自愛くださいね
シヴェルニー モネが歩いた道 [フランス思い出の街角]
「モネとシヴェルニーの画家たち」
先週、ノロウィルスもすっかり良くなって、、
渋谷のBunnkmura Musiumに行ってきました。
ご一緒したのは、憧れの素敵な奥様♪
知り合いになったのは20年前・・。
だけど、お互いゆっくりお話する機会もずっとないまま時が過ぎ、、、、ここ数年お互いの子供の学校の繋がりなどで再会。
ランチも兼ねて、素敵な時間を過ごすことができました。
・・というわけで、
ここからは、2008年夏のお話です。
夫とドライブでフランスのシヴェルニー(Giverny)を訪れたのは、今から2年半前。小さな村だけど、モネが晩年をすごした村として有名。パリからの日帰りツアーもあるようで日本人の観光バスも到着していた。
通りから外れると、小さな森の中に小川。これがエプト川かしら。モネはこの水を引いて「水の庭」を造り、しだれ柳や菖蒲を植え、睡蓮を浮かべた池に太鼓橋をかけたという。
モネがここシヴェルニー(Giverny)に移り住んできたのは、1883年。42歳の頃で、作品の多くをこの辺りの風光明媚な景色を描いていたそう。そして、モネの影響を受けたアメリカ人などのたくさんの画家もここに集まってきた。
散歩していると、モネの銅像を発見。
きっとモネやその家族、たくさんの画家達がここを歩いていたに違いない・・。そう思うと、なんだか不思議。
モネの「ポプラ並木」の看板があった。看板にカメラのフラッシュが写っちゃったけど。
きっとかつてここから見える風景を描いたものだったのだろうね。
森から出てくると、ワインとジャムのこんな小さなお店屋さんがあった。
村のメイン通りは「モネ通り」
絵を売るお店もある。やっぱり睡蓮の絵。
小さな村だけど、ホテルもある。
ツタのからまる小さなおうち。お花が色とりどりで綺麗。
路線バスの停留所。本当に小さな村だから、きっと1日に数本しか通ってないだろう。
そして、その停留所の近くにモネのお墓がある。モネはパトロンだったエルネストの恩を忘れず、自庭に墓を造った。その妻アリスも眠るこの墓にモネも埋葬されているそう。
モネは26歳の時、19歳の恋人でモデルだったカミーユと暮らし始め長男ジャンが誕生。やがて二人は結婚したが絵はほとんど売れず、マネやルノワールらの援助でようやく生き延びている状態だった。36歳になったモネは実業家のエルネストというパトロンを得た。次男も生まれ、暮らし向きも幾分好転。しかし、それも束の間で、エルネストは破産。行き場のなくなったエルネストと妻のアリス、その子供6人がモネの家で暮らすことになった。そんな中、病床の妻カミーユが息をひきとる。この年、エルネストは妻子をモネに託し、再起を期して家を出た。こうして奇妙な同居生活が始まった。世間の好奇の目をはねのけるようにモネは大家族を養うため「自ら信じる絵」を描き続ける。
妻カミーユを看取り、息子達を育ててくれるアリスにモネが男女の愛を感じるようになったとしても不思議ではない。モネは大家族を引き連れてシヴェルニーに移り住み、光に満ちたこの地を、終の棲家とする。
ここが、モネの自宅、そして睡蓮の庭がある場所。中は見学できるようになっているが、長蛇の列で時間の都合上、入るのを諦めた。残念・・・
そして、モネの心に刺さっていたドゲ、アリスの夫であり、恩人のエルネストが異郷で死亡。モネは遺体を引き取ってシヴェルニーに埋葬。51歳になっていたモネはようやくアリスと再婚をする。
モネの庭の周りを散歩。でも外からは植物の垣根で中が見えなかった。やっぱり列に並んで入館料払わなくては見えないわよね・・。
晩年、周りの風景は描かれなくなり、衰えた視力で描かれたのは、水面だけだった。白内障、妻アリスの死。度重なる悲劇のなか、アリスの次女に介護されつつ、モネが大装飾画「睡蓮」に着手したのは76歳のとき。手術でわずかに回復した視力で10年間絵筆を握り続け、作品が完成したのは、86年の生涯を閉じたためだった。
それでも、しつこくモネの庭を覗き込む私・・・。
8月。シヴェルニーの村でこんなかわいい葡萄の実がなっていた。
モネのお話は週刊「世界の美術館」より。
フランス シヴェルニーはパリの左上70km
セオドア・ウェンデル 「花咲く野原、シヴェルニー」 先日買ってきた絵葉書より。
画家たちが愛した小さなフランスの田舎村。とっても穏やかな場所だった。
先週、ノロウィルスもすっかり良くなって、、
渋谷のBunnkmura Musiumに行ってきました。
ご一緒したのは、憧れの素敵な奥様♪
知り合いになったのは20年前・・。
だけど、お互いゆっくりお話する機会もずっとないまま時が過ぎ、、、、ここ数年お互いの子供の学校の繋がりなどで再会。
ランチも兼ねて、素敵な時間を過ごすことができました。
・・というわけで、
ここからは、2008年夏のお話です。
夫とドライブでフランスのシヴェルニー(Giverny)を訪れたのは、今から2年半前。小さな村だけど、モネが晩年をすごした村として有名。パリからの日帰りツアーもあるようで日本人の観光バスも到着していた。
通りから外れると、小さな森の中に小川。これがエプト川かしら。モネはこの水を引いて「水の庭」を造り、しだれ柳や菖蒲を植え、睡蓮を浮かべた池に太鼓橋をかけたという。
モネがここシヴェルニー(Giverny)に移り住んできたのは、1883年。42歳の頃で、作品の多くをこの辺りの風光明媚な景色を描いていたそう。そして、モネの影響を受けたアメリカ人などのたくさんの画家もここに集まってきた。
散歩していると、モネの銅像を発見。
きっとモネやその家族、たくさんの画家達がここを歩いていたに違いない・・。そう思うと、なんだか不思議。
モネの「ポプラ並木」の看板があった。看板にカメラのフラッシュが写っちゃったけど。
きっとかつてここから見える風景を描いたものだったのだろうね。
森から出てくると、ワインとジャムのこんな小さなお店屋さんがあった。
村のメイン通りは「モネ通り」
絵を売るお店もある。やっぱり睡蓮の絵。
小さな村だけど、ホテルもある。
ツタのからまる小さなおうち。お花が色とりどりで綺麗。
路線バスの停留所。本当に小さな村だから、きっと1日に数本しか通ってないだろう。
そして、その停留所の近くにモネのお墓がある。モネはパトロンだったエルネストの恩を忘れず、自庭に墓を造った。その妻アリスも眠るこの墓にモネも埋葬されているそう。
モネは26歳の時、19歳の恋人でモデルだったカミーユと暮らし始め長男ジャンが誕生。やがて二人は結婚したが絵はほとんど売れず、マネやルノワールらの援助でようやく生き延びている状態だった。36歳になったモネは実業家のエルネストというパトロンを得た。次男も生まれ、暮らし向きも幾分好転。しかし、それも束の間で、エルネストは破産。行き場のなくなったエルネストと妻のアリス、その子供6人がモネの家で暮らすことになった。そんな中、病床の妻カミーユが息をひきとる。この年、エルネストは妻子をモネに託し、再起を期して家を出た。こうして奇妙な同居生活が始まった。世間の好奇の目をはねのけるようにモネは大家族を養うため「自ら信じる絵」を描き続ける。
妻カミーユを看取り、息子達を育ててくれるアリスにモネが男女の愛を感じるようになったとしても不思議ではない。モネは大家族を引き連れてシヴェルニーに移り住み、光に満ちたこの地を、終の棲家とする。
ここが、モネの自宅、そして睡蓮の庭がある場所。中は見学できるようになっているが、長蛇の列で時間の都合上、入るのを諦めた。残念・・・
そして、モネの心に刺さっていたドゲ、アリスの夫であり、恩人のエルネストが異郷で死亡。モネは遺体を引き取ってシヴェルニーに埋葬。51歳になっていたモネはようやくアリスと再婚をする。
モネの庭の周りを散歩。でも外からは植物の垣根で中が見えなかった。やっぱり列に並んで入館料払わなくては見えないわよね・・。
晩年、周りの風景は描かれなくなり、衰えた視力で描かれたのは、水面だけだった。白内障、妻アリスの死。度重なる悲劇のなか、アリスの次女に介護されつつ、モネが大装飾画「睡蓮」に着手したのは76歳のとき。手術でわずかに回復した視力で10年間絵筆を握り続け、作品が完成したのは、86年の生涯を閉じたためだった。
それでも、しつこくモネの庭を覗き込む私・・・。
8月。シヴェルニーの村でこんなかわいい葡萄の実がなっていた。
モネのお話は週刊「世界の美術館」より。
フランス シヴェルニーはパリの左上70km
セオドア・ウェンデル 「花咲く野原、シヴェルニー」 先日買ってきた絵葉書より。
画家たちが愛した小さなフランスの田舎村。とっても穏やかな場所だった。