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イラン滞在記1995年~99年 ブログトップ

イランという国で・・ [イラン滞在記1995年~99年]

中東の国イラン・・
イスラム教の国。
ペルシャ絨毯。ペルシャ猫。
砂漠の国・・・?
イラン・イラク戦争・・・

初めてイランに行くと知ったとき、私の知識はこんなものしかなかったのです。
ですから、小学校と幼稚園にやっと上がったばかりの子供を連れて行くには、
準備もあれこれ大変でしたし、不安もいっぱいありました。
しかし、後になって思えば・・
その家族と共に過ごした3年半の首都テヘランでの滞在は、
今までの生活の中でもしかしたら一番楽しかった時期かも・・
と、思えるくらい印象的です。

言葉や宗教の問題、治安、そして経済差の問題・・
自分から積極的にその文化や人々の中に入り込むことは難しいことでしたし、
現地の方との個人的な友人関係を築くことができなかったのは心残りです。

しかし、
大昔から脈々と流れるペルシャ文化の、
ほんのほんの一端を
風に吹かれるように、香りを感じながら・・
驚きの中に好奇心を感じながら・・
違いの発見の中に楽しさを感じながら・・
そんな風に過ごしていたように思います。

そこで暮らした3年半の何気ない日常の生活の中から、
ほんの少し垣間見ることができた文化の違いは
それまでの自分には知り得ない
不思議で、奥が深くて・・驚くことばかりでした。
そして、いろいろな事を感じ、考させられる国であり
またとても魅力あふれる国でもあったのです。

そして、同じ境遇で過ごす日本人同士の素晴らしい連携や、
子供達を文化を感じさせながら、その中で育てること。
そしてリフレッシュ休暇と称した家族旅行・・
私達の生活を影で支えてくれた
イラン人のマッスメさん、ゼイナップさん、ババイさん、アスガルさん・・・
愛すべき人たち・・・
・・楽しいこと、たくさんありました。

しばしば、新聞やニュースで取り上げられるイラン。
いろいろな問題もある国ですが、
でも、ここではそういうお話はちょっと横に置いておいて・・
お時間が許すとき
時々、ほんのりとイランの香りがする思い出話を聞いてください。


                                           1999年朝日新聞

イラン(テヘラン)


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庭にヒツジが・・ [イラン滞在記1995年~99年]

私達が住んでいた2軒目の家でのこと。
朝、下の子を幼稚園に送って行こうと庭に下りると、
何かもくもくとした大きい物体が動いている・・・

「えっ!なんでこんな所にいるの??・・・羊がっ

一戸建ての庭で羊が一匹、自由に動いています。

2軒目の家は、1階が納戸と広いガレージ。それに続く庭。
外壁と門扉は大きく高く、外部から中の敷地は覗けないようになっています。
2階に大家さん一家が住んでいて、
私達家族は2階の大家さん宅とは同じ間取りの、3階に住んでいました。
もちろん外階段付き、玄関は独立しています。
2軒目の家・・というのは・・・
ここテヘランに来て
まず数か月前に赴任していた夫が選んでおいた家に住み、
その後2回の引っ越しをしたので、3年半で計3軒の家に移り住んだのでした。
なぜかテヘランに駐在している日本人はよく引越しをします。
もちろん、最初から最後まで同じ家に住む人もいますが、たいがい1回は引っ越しを
経験します。そのお話はまた何かの折に。。。

私が息子を送って帰ってくると・・
庭には太った大家さんの奥さんとヒゲの業者風の男がいて
・・と言っても、イラン人男性はほとんどヒゲがありますが。。
(ひげは大人の男であるシンボルのようなものです。)
ちょうど、ガレージのところで羊を捉えて首をかけようとしているところでした。

奥さんは私に
「私の病気が治ったから快気祝いなのよ。」
「これから羊を殺してお肉にするから見ていなさい。」
・・・と。
そう言えば奥さんは1、2週間みかけなかったが、入院をしていたのでした。
一瞬、見ていようかどうしようか迷ったのですが、
私はやっぱりそれを見ていることはできないと
自分の部屋にあがって、時々カーテンの陰から薄目を開けて
様子をうかがっていました。
吊下げられた無残な羊。
ころがっているもくもくのコートのような毛。
庭から引いたホースの水で血をジャージャー流していました。

ここはテヘランでも高級住宅が軒を連ねる都会の家。
今でも家庭で生きた羊をこうやってお肉にして親戚中でお料理をして
お祝いするんだ・・・・・・」

伝統的な行事や宗教儀式が消えつつあり、また簡略化され、
継承のためだけに残している文化に他人事だったりもする日本人。
そんな現代の日本からやって来て、突然知識もなく生活を始めると・・
こういう事が妙に不思議でいて新鮮だったりしたのです。

でも、私はしばらく下へは降りて行けずにいたのです。。。。



                                   イランのタイル細工

イランはカスピ海とペルシャ湾にはさまれ、国境をイラク、トルコ、アザルバイジャン、
アルメニア、トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタンの7カ国と接している国です。
正式国名はイラン・イスラム共和国
面積は日本の約4.5倍で人口は約7000万人です。(2006年)


皆様へ

ご訪問いただきありがとうございます。
わたくしたちがイランに滞在していたのは今からおよそ10年ほど前になります。

お話の内容が現在のイランとは違うものになっていることもありますので
その点はどうかご了解いただければと思います。
そして、私の滞在目的が観光ではなかったので、これからイラン方面の旅を
考えていらっしゃる方には参考になるものではないかもしれませんが、
ごめんなさい
こんな感じで,ほんの少しイランの香りがする思い出話などを
時々ゆ~っくり更新していきます。  

外務省 海外安全ホームページ 
rino


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イランのチャイ [イラン滞在記1995年~99年]

どこの国にもその国のお茶の飲み方がありますね。
やっぱりお茶をいただく時って、ほ~~っとできる憩いのひと時であることは
世界中どこにいても同じだと感じます。。

イラン人も例外なく、本当にお茶を良く飲む人々です。
いや、日本人よりもっともっとたくさん飲むような気がします。
どこへ行ってもまずチャイ。

八百屋の店先で店番のおじいさんがひなたぼっこしながらチャイをすすっていたり
店の奥でもおばさんがチャイを飲んでいるところ、あなたもどうぞ・・と勧めてきたり、
バザールの絨毯屋さんでも、熱心に絨毯を眺めていると、チャイはいかが・・と
勧められたり・・そんな、気さくなイラン人も少なくありません。

             
             ハーゲ メッリ門 テヘランの北の方には山があって雪もふります。

イラン人のお宅に訪問しても、まずはチャイ。
パイ生地でできた甘いお菓子やクッキーのようなもの。
ピスタチオなどのナッツ類。それに果物でもてなされます。
果物は四季折々でどれをとっても本当に美味しく、またとっても豊富です。
そして私がおもしろいなと思ったのは、
果物を盛った大皿に一緒に、きゅうりが盛られていること
きゅうりは日本のものより長さが半分くらいで、かわいいサイズです。
きゅうりはサラダなどにも使われますが、果物のようにおやつとしてもいただきます。
そのままかじりつくか、またはそこに常備してある果物ナイフで緑の皮を
上手にサ~と剥いてちょっとお塩をかけていただきます。
イランのきゅうりもとても美味しいですよ。

イランのチャイは紅茶のような、日本の麦茶のような色をしています。
そして、濃く出しても渋みはなく、子供も違和感なく飲める感じです。
味もやっぱり麦茶に少し似ているかしら・・。
そこはかとなく、お茶の甘味があって、私は大好きでした。

飲み方はちょっと変わっています。
まず、口の中にガンと呼ばれる塊のお砂糖(ちいさな飴玉くらいの大きさに砕かれたもの)を
含みます。そして、熱いチャイをすすります。
そうすると、口の中の砂糖が程良く溶けて、甘いチャイとなって喉元を通っていくのです。
見ていると、イラン人はずいぶんお砂糖をたくさんほうばります。

私は普段家にいる時は
このチャイを濃く出して、ミルクを入れてミルクティーとして飲んでいました。
お砂糖はいれません。
でもこんな飲み方は全く邪道でしょうね
こういう飲み方はイラン人はまずしませんし、見たことがありませんでした。

そして、コーヒーは一般的にあまり飲まれません。
お店には輸入物のネスカフェなどのインスタントコーヒーが売っていますが、
普通のイラン人にとっては高価なものであると思います。
それでも、カフェに行けばコーヒーは飲めましたね。
一応コーヒーの味はしました。

             
             テヘラン市中心部。ビルも街路樹もあります。

ごく普通のイラン人はやっぱりチャイを飲んでいます。
乾燥した国ですから、いつでもどこでも、一日に何杯もチャイを飲むんです

イランはアルコールはありません。
お店にもレストランにも本当にありません。
イスラム教の戒律で禁じられています。
現在もそうだと思います。
旅行者の方にはちょっとつらい旅ですね
我が家にはヒミツがありましたけど・・・

        
        
                 ゴレスタン宮殿の外観と内部(テヘラン)

記事に関係のない写真ですみません。
これらはイラン大使館が発行された「イランイスラム共和国」から抜粋しています。


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ヒミツの飲み物 [イラン滞在記1995年~99年]

前回のブログ記事、「我家のヒミツ・・」ってちょっと気になりますよね。
今日は予定変更でヒミツのお話に触れてみたいと思います。

現在のイランは酒類の販売と飲酒は固く禁じられています。
人々の日常生活と社会全体はイスラム教と深く、深く結びついているんです。
これは、1979年のイランイスラム革命を経て、人々が望んだ宗教的生活です。

憲法はイスラムの精神向上を目指したイスラム教義に基づいて、
文化・社会・政治・経済の原則を決めました。
社会を治める法律は、コーランやスンナを考慮して条例を制定します。
イスラムの観点からすると、政治は特定の階級の利益のためや、
秀でた個人またはグループのためのものではなく、
共通の宗教と宗教観を持つ人々の理想政治の結晶でなければならないのです。
ですから、国民の意思は政権を選ぶときには反映されますが、
政治の原則とか、基本制度は選挙や投票によるものではなく、
イスラムのコーランと神の御心により定められるのです。

イスラム教は難しく、奥深く、
勉強をしていない私にはよくわからないのですが、
イスラム教国に住むということは全く違う世界観の中で
生活するということでもありました。

イランではどこのお店に行っても、その「美味しい飲み物」は売っていません。
外国人だからと言ってホテルやレストランで売ってもらえることもありません。
どこにも無いのですから。
レストランでの食事のお伴はほとんどイラン製コーラでした。
アルコールが得意ではない私にはそのこと自体全く問題なかったのですが、
その美味しい飲み物がお好きな方でしたら、
滞在が長い期間続くと・・やっぱり寂しいものですよね。きっと。
わが夫も例外ではありません。
飲んでいい気分になる=退廃的な生活・・・というイスラム的な考え??は
イスラム教徒ではない私達にはおかまいなし・・でした。
仕事から疲れて帰ったとき、お食事のとき、パーティーのとき、
お客様を接待するとき・・
そんなときは潤滑油の一つとしてやはり必要なものでした。
外からは見えない、家の中だけで可能な事でしたけど。

「郷に入れば郷に従え」・・は好きな言葉なのですが、
イスラム教徒ではない私達は・・大きな声では言えませんがそこは暗黙の・・。
隣国から山越えしてくるルートだとか。こわっ・・
外国人に対するこういう稀な暗闇のお仕事も実は秘かに・・。
もちろんそういう商売をしている現地の方は見つかってしまえばご法度。
ですから、搬入のときは何とも言えない気持ちで私はハラハラ怖かったものです

日本からの仕事関係のお客様、出張者・・
何日間も3食全部イラン料理というのもしのびなく、夕飯は我家で接待ということがほとんど。
お仕事関係というのももちろんですが、
もうほとんど人道的(?)に・・・・お料理担当の私はそんな気持ち。
そういうわけで我家では、必死に日本料理でした
そんな時、美味しいヒミツの飲み物は大いに一役買ってくれたものです・・・



イラン革命(1979年)
国王による圧制、アメリカの強い後ろ盾のもとに進めた工業化は貧富の差を広げ、
農村の荒廃を招く結果となっていきました。
民衆の反感は強まり、各地でデモがおこり、広がっていき、
パーレビ王政滅亡へと向かっていったのです。
1979年、イマーム ホメイニは歴史上かつて例がないほどの歓迎のなか亡命先のパリから
帰国を果たし、イラン革命を率いる最高指導者に就任しました。
この革命前のイランはパーレビ国王が西洋化、近代化を推し進めていて
アメリカナイズされ、バーやディスコもあり、女性はミニスカートをはいていたそうです。
しかし、人々は革命を経て、敬虔なイスラム教国家を望んだのです。



 イマーム ホメイニ師の凱旋帰国 (1989年没)

写真・参考:イラン大使館発行資料「イランイスラム共和国」


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イラン女性の服装 [イラン滞在記1995年~99年]

イランに行くことになった時、準備段階で気を使わなくてはいけない事は沢山あったのですが、
とりわけ服装の事もその大変な事の一つでした。

Lilac Daysのもとこさんの記事に大変興味深いイスラムの国々での服装や
貴重な体験談が掲載されています。
私も何回かに分かれるかもしれませんが、イランでの服装にまつわるお話をしてみたいと思います。

①  最低、は隠れるように、コートで身体の線を隠さなくてはいけない。
   (腰や膝までのコートでしたら、当然ズボンをはかなければなりません。コートの下が
   スカートでしたら、足首まである長いコートで足元まで隠さなければなりません。)
②  顔面手首より先以外、肌を見せてはいけない。
③  髪の毛を隠すスカーフ(ルサリーやヘジャブ)をしなければならない。
    しかし、コートの色や柄は自由。(必ずしも黒でなくてよい。)
④  公衆の面前では、たとえレストランで食事中であっても、どんなに暑くても
   脱ぐことはできない・・・

などの制約や注意事項があったので、コートの生地の厚さやスカーフの素材など、
いろいろ考えあぐねました。
本格的に着るコート(足首まである長いコート:マント)はイランへ到着してから
現地で買えばいいと思いましたが、
とりあえず、自分がイスラム信者でなくても、たとえ観光目的の外国人であっても
イランに到着し、一歩イランの地を踏む瞬間からその宗教的服装をしなければなりません。

私は会社の前任者から、レインコートのような薄手のコートに綿素材のスカーフが良いという
情報をもらい、準備をしました。
イランへ到着する初日の私のいでたちは、スプリングコートのような白っぽい
薄手のトレンチ型のコートに、髪の毛ですべらないように綿素材のスカーフ
(シルクのスカーフでは髪の毛ですべってしまい、具合がよくありません。)
それに足は隠さなくてはなりませんから、当然パンツスタイルです。

イランの地に一歩踏み入れる瞬間からそのイスラム的服装をしなくてはならないのですから、
当然、飛行機の手荷物の中にスカーフを入れ、コートは手にしていなければなりません。
飛行機が着陸すると、機内でみな身支度を始めます。
イラン人やイスラムの人々は出発地からその格好をしていますが、信者でない外国人などは、
さっとコートを羽織り、馴れた手つきで三角にしたスカーフをあごの下で結び、にわかムスリムに変身するのです。

1.JPG
この長いコート(マントー)、スカーフ(ルサリ)はテヘランで購入したもの。 一歩家を出ると、いつもこのような格好でいなければならない。

イランの首都テヘランのメヘラバート空港
外国の飛行機は真夜中の発着です。(現在の状況は未確認ですが、10年前は真夜中でした。)
入国審査も大行列しなければならないし、スーツケースも一人一人全部開けられて調べるので
ものすごく時間がかかります。検査が終わって外に出るまで何時間もかかる時もあるんです。
(その後の経験で、日によっては運が良く、ノーチェックの日もありました。)
幼い子供二人連れての真夜中の到着はとっても大変だし、
イスラムの国はそうでなくても衝撃的なので
フランクフルト経由にして、そこまで数ヶ月前に赴任していた夫が迎えに来てくれました。

2.JPG
敬虔なモスクを見学する時は、コートにスカーフという格好だけではだめで、このようにチャドルという 真っ黒な半円形の布で頭からすっぽり身体を被う。 外国人用のためなのか、モスクの入り口で貸し出してくれた。 チャドルにはボタンも留め金も紐もついてなく、手で合わせたり、口でくわえたりして、押さえて歩くのだ。

3.JPG
レストランで食事をする時もコートやスカーフを取るわけにはいかない。 私は一番初めにレストランに連れて行かれたとき、危うく、スカーフをなにげなく取ってしまうところだった。 あごの下で結んだスカーフは、慣れるまで食事のときはすごく違和感を感じたものだった。


テヘランへのフライトはイラン・エアーの直行便の他は、
まず、日本からヨーロッパの都市に飛んで、そこから、テヘラン行きに乗り換える方法があります。
ルフトハンザやエア・フランスや、アリタリア、KLM、BA・・などなど・・
ヨーロッパの航空会社の便は就航しています。ただし、テヘランでの発着は真夜中でした。
我家はヨーロッパの航空会社を使いました。単に夫の好み(?)で、
イラン・エアーでは、お酒のサービスがないからではないでしょうか・・・?
いや、他にも理由はあるのでしょうが・・。
イラン・エアーの方が発着が良い時間帯だったり、ファーストに乗ってもそれほど高価では
ないし、おまけにキャビアが食べ放題なんて・・[exclamation&question]良い一面もあると聞きましたが・・。
なぜか私は一度もイラン・エアーに乗ったことはありませんのです(笑)

4
塩の山見学。日本人の女性達。みなイランで買った色とりどりのコートを着ている。 イランは陽射しが強いのでサングラスをかける人は多い。(かけてない人もかけさせていただきました・・)


緊張して疲れていた私が見た真夜中のイランの空港は・・・
やっぱり衝撃的[目][どんっ(衝撃)]
初めて見るイスラムの国。
黒いコートにスカーフ、チャドルの女性怖そうなヒゲの男性
空港にあふれる人、人、人・・・・


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真夜中の空港 [イラン滞在記1995年~99年]

真夜中のイランの首都テヘラン メヘラバード国際空港

ドイツ・フランクフルトからLHでテヘランへ。
シートベルトのサインが付き、機体がどんどん降下していくと
窓の外に
漆黒の闇の中に突然、宝石をちりばめたような灯りが見えてきました。

意外なほど、綺麗な夜景・・・
見知らぬ街の灯りは、人々の生命が息づいているように
美しく輝いていました[ぴかぴか(新しい)]


img036.jpg
アザディタワー: 現代イランの象徴でもある。テヘラン西部に1971年に建設されたもので                          高さ45m。着陸間際に飛行機の中からも見ることができる。


もうすぐ、着陸・・・
疲れた身体は再び緊張でシャキッとしてきたのを覚えています。
到着時間は確か、真夜中の1時とか2時とか・・そんな時間帯です。

「イラン女性の服装」の記事にも書きましたが、外国の飛行機は夜中の離発着が多いのです。
空港は真夜中にもかかわらず、大勢の人々でごった返しています。
街や人々が寝静まっているのに、なぜか街外れの土漠の真ん中にある空港だけ
何かこれから大イベントでも行われるのかというように人々でにぎわっているのです。

img029.jpg
                     チャドルの女性達。モスクの広場で。
※なお、イランでは空港、駅などの施設、女性、礼拝中のイスラム教徒など、無断で写真撮影は禁止されています。

見送りの人、お出迎えの人・・花束を持って別れを惜しんでいる人々・・・
「何でこんなに人がたくさんいるんだろう・・・」
ロビーには、お葬式のように、黒装束を着た女達ヒゲの怖そうな男達
ひしめき合っていて、私にはなんとも異様な雰囲気に見えました。
真っ黒いチャドルの下から、彫りの深いはっきりとしただけが
私達日本人を、ある人は悲しげにじろじろと・・ある人は怖そうに
にらみつけているような気がしました。

真っ黒なお葬式の行列のような間をやっとくぐりぬけるように外へ出ると、
夫の会社の方々(日本人駐在員)と、ドライバーさん(イラン人さん)が
待っていてくれて、花束を持って歓迎してくれました。

これから生活が始まるんだーー!
その時の私のいでたちは「イラン女性の服装」の記事 [次項有]こちらにも書きましたが
もちろんコートを着て頭にはスカーフを、あごの下でしっかり結び・・。
イスラム信者ではないのに、スカーフ姿で「はじめまして」とご挨拶が
なんと恥ずかしかったことでしょう[あせあせ(飛び散る汗)]

イランの服装.JPG
イスファファン旅行の時の写真。この頃はもうすっかりコートが似合っています・・・


もう、すでにイランで生活している日本人にとっては、見慣れていて
まったく何でもないことだと後でわかるのですが、
なんか、ものすごく、似合わない気がして・・・
そして、出迎えの日本人の同僚の中に私の同期の男性社員がいて、
「おう!来たね!久しぶり!」っていう感じが又、ものすごく気恥ずかしくて・・・
まだ慣れてなかったのでしかたないですよね~~
・・・もしかして、こんな自意識過剰はワタシだけ・・・[exclamation&question]

テヘランにあるメヘラバート国際空港はこの数年後には広くなり、
そして、2004年にはテヘラン市南50kmには新しくエマーム・ホメイニ国際空港
開港されたようです。

空港から街へのアクセスはタクシーか市内バスを利用するしかありません。
いやぁー全くびっくり[目]の交通事情についてはまたいづれ・・・


※飛行機の発着時間については当時の様子を記事にしています。

外務省 海外安全ホームページ イランはこちら。
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イランでスキー・・ [イラン滞在記1995年~99年]

イラン・・というと、1年中灼熱で砂漠の国・・なんていうイメージを
持っていらっしゃる方もおられますよね。

イランははっきりとした四季がある国です。
地方によって、気候はさまざま、南と北では随分違いはありますが、
私達が滞在していた北の方に位置する首都テヘラン
東京と同じぐらいだと感じていました。
たくさんではないですが、[雪]も降ります。
は暑く、6月~8月がピークで35度以上になります。
1年を通して乾燥しているので、
私のように髪の毛が湿気に弱い人でも完璧なヘアースタイルを保てますよ。
おかきやお煎餅は袋をあけてもしばらく大丈夫だし、お料理も腐りにくい。
探せばいろいろ利点もあります[ひらめき]

首都テヘランの北には3000m~4000m級アルボルズ山脈が峰を連ねていて
1300mあたりの位置になだらかに傾斜しながらテヘランの街が広がっています。
結構、高地に位置しているんですね。
ですから、テヘランの街を歩くときはゆるやかな坂道を歩くような感じです。

さて、イランの北部には、いくつかスキー場があります
私達が住んでいたテヘランから、車で1時間半~2時間ぐらい行くと
一番近いアバリスキー場がありました。
スキー場の施設は古かったですが[スキー]
ここで食べる炭火串焼きのキャバブは本当に美味しかったのを今でも覚えています。
私はスキーより、ここのキャバブーが目当て[あせあせ(飛び散る汗)]
そして、デジンスキー場はコースがものすごく長くて大きなスキー場でした。

img038.jpg
                   アバリスキー場で・・
(追記: 注! このカラフルなスキーウエアは日本人ママたち。)

イランでは女性が公共の場でスポーツをするというのはなかなかイメージしにくい国ですが
スキー場には、お金持ちの少数派ではあったと思いますが、女性客もいました。
スキーは薄着になることはありませんから、基本的に女性がスキーをする上では服装の点では
大きな問題点はありませんでした。
スキーウエア、(もちろん一番上はざっくりしたコートで身をかくすのがベストなのですが)
頭は帽子をかぶりますからね。
又は、普段のスカーフ姿でも耳まで隠れて温かいですからスキーのときは便利です。

それにしても、スキー場のゴンドラも、男女別々に乗るのには、やはりびっくりしました[目]
公共のバスなどは男女乗る場所が違うのですが
「あれ、ここでもか・・[exclamation&question]」と私は思ったものです。
しかし、ゴンドラの乗り場の列は別々ですが、 上に到着すればまた男女一緒になります。
ゲレンデも一緒だったという記憶があります。
一応公共の場で男女一緒になってはいけないというイスラムの建前はあるんですが、
なんだか、いつも片手落ちのような気がして、失礼ながらちょっと可笑しくなりました。


img039.jpg
img040.jpg
                    日本人学校のスキー教室で・・

アバリスキー場では子供が通っていた日本人学校の冬の行事として、スキー教室も開かれます。
スクールバスでの日帰りスキーが5日間続きますが、子供達にとっては
楽しい行事の一つでした。
今でも娘は「あそこのキャバブーは美味しかった~[ハートたち(複数ハート)]」と申します・・・[あせあせ(飛び散る汗)]
まぁ、親娘でやっぱり・・・[ふらふら]


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イランの食べ物 [イラン滞在記1995年~99年]

イラン人ってどんなものを食べているんだろう?
どんな連想をしますか?
胡麻、胡椒、胡瓜、胡桃・・・・・・胡のつくものは大昔
胡の国ペルシャからやってきたというお話があります。

四季のあるイランは果物、野菜はとても豊富です。
牛肉、鶏肉、羊肉・・・
そう、豚肉は宗教上どうしても手に入りません。
ハーブやサフラン、トマト、塩、での味付けは一般的。
辛いものや所謂カレーは滞在中見かけませんでした。

イランでは お米ナンが主食です。
ナンをはじめとする所謂パンは日常的ですが、
お米料理はイランではナンより豪華でご馳走でもあります。
イラン人にとっては米はちょっと高価ですので、
ごく普通の生活のイラン人でも毎日は食べられないものです・・
(注:ごく普通の生活のイラン人・・と言っても日本の普通とはずっと質素な生活です。)

イラン米は日本米のように粘りがあるものとは違い、ちょっと細長いパラっとした米です。
そして、独特の香りがあります
この香りというのをブログでは説明できないのがとても残念なのですが、
とても香ばしくて、なんとも言えない甘味のあるような、それは美味しい香りなのです[ぴかぴか(新しい)]

日本人の中には、西洋料理よりイラン料理の方が受け付ける・・という方は
多いのではないでしょうか。
イランの家庭料理も意外とヘルシーで美味しいお料理があるのですが、
まず、一番初めにご紹介するのはなんといっても、キャバブ[exclamation]
一般的に誰にでも好まれて、ご馳走でもあり、
代表的なレストランでのメニューでもあります。


キャバブとは串焼きのお肉です。 b.jpg
ジュジェキャバブ: サフラン、塩、コショーで漬け込んだ鶏肉の串焼き
キャバブバルグ:  牛ヒレ肉の串焼き
キャバブクビデ:  羊のひき肉のハンバーグ状のもの串焼き

串で焼かれた肉が乗せられた大きなお皿にはトマトの串焼きものせられていますね。
この焼きトマトとバターをご飯の上に乗せ、くずしてご飯とまぜあわせるとなんとも美味しい
トマトライスになります。 (わ~食べたくなってきた・・・[あせあせ(飛び散る汗)]
お肉はご飯と一緒に食べたり、ナンにはさんで食べたりします。
右上にはイラン製のコーラ。飲み物の定番です。
レストランでキャバブを注文すると、お店にもよりますが、
サラダ、ご飯、ヨーグルト、ナンなどが付いてきます。


c.jpg
これはべレンジアブゲシ(イラン風ごはん)
ご飯は塩を入れたお湯で茹でた米をいったんざるにあげ、次にお鍋に山型になるように
真ん中を高く盛り、油をまわしかけて蓋をし、蒸して作ります

そして、家庭料理では鍋の底にごはんのおこげを作ります。
これが又日本人好みでとても美味しいのです。
ご飯の上の黄色い色はサフラン。サフラン色にしたご飯も飾りにします。
この写真のまわりにある黒い丸いものはじゃがいも。
茹でた米の下に敷いてじゃがいものおこげを作ります。
一般に白いご飯をチェロウと言い、ごはんにいろいろ混ざっているものをポロウと言います。
私達が言うピラフとはこのポロウがなまって伝わったとか・・・。



d.jpg
これは一枚目の写真の大皿にも盛られていましたが、
クビデと言って、羊のひき肉に塩とコショー、玉ねぎのみじん切りとあわせハンバーグ状にして
平たい串にしっかりとくっつけて焼いたものです。上に乗っているのは焼きトマトです。
キャバブのお供には玉ねぎを丸のまま四つわりにしたものがドンと添えられていたりして、
初めはびっくり[目]しますが、その玉ねぎもかじりながら、
クビデとご飯を一緒に食べたりするともう病みつきですよ[手(チョキ)]
クビデは子供達も大好きなメニューでした。
左下の写真はそれを焼いているところ。右下の写真道端で鳥レバーを焼いているところ。

e.jpgf.jpg
「イランでスキー」の記事でも少し触れましたが、キャバブはご馳走であり、
レストランでの代表的メニューでもあるのですが、行楽地やちょっとした街角でも
炭火で焼いて売っていたりもするのです。

次は私達がお邪魔した普通のイラン人のお宅でのご馳走の様子をアップしたいと思います。
(※ 写真は、ほしゅまぜ会PERSIAN COOKINGから抜粋させていただきました。)
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イランの食卓 [イラン滞在記1995年~99年]

自宅の中庭でキャバブを焼くババイさん。この日のご馳走の一品。
img044.jpg
テヘラン滞在中、毎年自宅に招いてくれたババイさん一家
イランではごく平均的な家庭ではないかと思われます。
しかし、日本の平均的家庭よりずっと暮らし向きは質素なのです。


下の写真は・・
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ババイ家に伺うと、まずお茶、果物やピスタチオなどが出されます。
大きなテーブルや椅子がないのもイランでは普通です。
絨毯の上にビニールの大きなクロスを敷いて、それが食卓に早変わりします。
これは考えようによっては、なんて便利なものなのでしょう・・!
部屋をいろいろな用途として使えるんですね。
女性達はスパッツやズボンの上にギャザースカートのようなものを
はいていますから、絨毯の上に座るときは胡坐を組んだりもします。



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そして、そろそろ食事の時間・・となると、果物やお茶のカップはかたずけて、
今度は別のお食事用のクロスを敷きなおして、奥さんの手作りのたくさんのお料理が並べられます。
そこでおもてなしの米料理(ご飯)は欠かせません。
ババイさんが炭火で焼いたキャバブ、奥さんが作っておいてくださった煮込み料理魚のフライ
サラダヨーグルトなど。
フォーク、スプーンを使っていただきます。インドのように手で食べたりはしないのですよ。
私達一家を招いてくださって、日々の食卓より、ずっとずっと豪勢なメニューだと思います。
イランのヨーグルトは甘いのではなく、きゅうりや、おろし玉ねぎ、おろしにんにく
などが入っています。私は好んでは食べなかったのですが、考えてみるとヘルシーですよね。
あれ、真ん中にヒミツの特製葡萄ジュースが・・・ふふふ・・



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ババイ家はご夫婦と一男二女の5人家族。右二人が娘さん。
気が付いた方もいらっしゃると思いますが、
女性達は部屋の中でもスカーフをはずしません。
きっと家族だけのときははずしているかもしれませんが、この日は私の夫もいますし、
他人のお客さんを招くというときはスカーフをしたままなのです。
これに関しては、イラン人家庭によってさまざまですが、ババイ家のようにするのは
一般的であると思います。
外国人だから警戒心があるのでは・・とか考えがちですが、
そうではなく、質素で慎ましやかであると考えるべきだと思います。
反対に、金持ちで海外経験があるような家庭の人は
同じような場面でスカーフをはずしている場合があります。

私はと言えば、イスラム教徒ではありませんから、
親しくさせていただいているババイ家ですから、家に入るや否や
着てきたスカーフ、コートは外させていただきます。
これに関しても、彼らは私達が外国人なのだから当然と考えています。



その次の年のババイ家。
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ババイ家は引越しをして、ちょっと前より広い家になりました。
リビングにはソファセットも。

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でも、やはり食卓はありません。
絨毯の上にビニールクロスを敷いて。
いくらでもお皿が並べられるように、大きな大きな食卓のできあがりです。
銘々のお皿に盛られている、黒いスープのようなお料理は私のリクエストです。
「ホレーシゴルメサブジ」・・・羊肉と野菜と豆の煮込み。
野菜は玉ねぎ・パセリ・ほうれん草・にら、・・・など他に数種類のハーブやしょうが、
野菜を刻んで一緒に煮込みます。これをご飯にかけていただきます。

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イラン人はお客さんに対し、お料理を食べきれないほど出してもてなしてくれます。
ご飯も山盛りです。
ぴったり食べきるより、有り余るくらい沢山出してご馳走するのがイラン流
おもてなしの心なのでしょう。
質素な生活の中にも、このように人を招いて食事を共にし語らう時間。
娯楽の少ないイランの生活ではこのような人との関わりがとても大切にされていると感じました。

温かいババイ家のおもてなしの心に触れながら、
こんなに文化が違うのに、やっぱり人の心って同じなんだ・・と
いえ、昨今ともすれば忘れがちな気持ちを改めて思い出させられるように・・
人の優しさをかみしめていたものです。


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大家さんの娘の結婚式 [イラン滞在記1995年~99年]

イラン滞在2年目。
2軒目の家でのこと。そう、庭にひつじ・・がいた家です。(記事は[次項有]こちら。) 
大きな一軒家で2階と3階が別々に世帯が入れるようになっていました。
2階は大家さん一家が、そして3階は私達日本人一家が借りて住んでいたのです。
間取りは大家さんのフロアーと全く同じで、
ワンフロアーは随分広かったのです・・

ある日、階下の大家の太った奥さんから娘さんの結婚式と披露宴の招待がありました。
大家さんには二人のお嬢さんがいて、
母似のぽっちゃりした姉と、英語が上手なスレンダーな大学生の妹がいました。
大家さんは高級住宅街に大きな一軒家を持っているわけですし、それを外国人に
貸しているような家庭ですから、まぁまぁ裕福な家庭です。
娘達も英語が話せましたし、ジーンズをはいていてオシャレなスカーフに長いコートという身なり。
いかにも敬虔なイスラム女性が身にまとうチャドルと言われる上から下までの
大きな黒い布を身につけたところは見たことがありませんでした。
(イランの女性の服装の記事は[次項有]こちら
同じイラン人でもちょっとオシャレで西洋の文化にあこがれているっていう
タイプの若者もいるんです。

姉の結婚式は自宅の(我家の階下)のリビングで盛大に行われました[ぴかぴか(新しい)]
自宅結婚式はプライベートな場所ですから、男女同席のパーティーが可能です。
お茶の給仕には蝶ネクタイの業者を数名雇っていました。
そのパーティーの世界は女性がスカーフもコートも無しで、男女が一緒に踊って歌っての
大パーティーでした。

イランではお金持ちは少数派だと思います。
ですからこんなパーティーもある程度裕福な家庭でなければできないものかもしれません。
学校も小さい時から男女別学
公共の場で未婚の男女が一緒歩いてもいけない風潮のイランでは
どのように男女が知り合うのでしょう・・?
このようなパーティーでは同じような階層の男女が知り合う絶好のチャンスの
一つなのではないでしょうか。

これは結婚式の数日後の披露宴のパーティーの写真です。
同じ部屋に男女がいますが、良く見るとおわかりになりますが
一応、席は男女が別れてますね。奥に男性の席、手前が女性の席になっています。
[ムード]中央で踊っているのが新郎新婦です。 img054.jpg
イラン人はみんな踊りますよ。[るんるん]
私も踊りました・・(写真には写ってませんけど・・) img055.jpg img053.jpg

新婦と小学校2年生当時の娘です[かわいい]
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イランの公民館での結婚式 [イラン滞在記1995年~99年]

前回のイラン記事で私達の住んでいた家の大家さんの娘さんの結婚式の
話題を取り上げました。
富豪というほどではないけれど、まぁまぁ恵まれた家庭での結婚式です。

今回は普通の家庭の結婚式に招待された時の事を少し書いてみたいと思います。
それは会社の若いイラン人女性スタッフの結婚式でした。

日本と同じように、親戚、会社の上司、同僚、友人などが招待されます。
結婚式(披露宴)は公民館のような、町の式場で執り行われます。

私が会場に到着して驚いたのは・・・
招待客は男女別々の部屋に通されます。
そこが控え室かと思いきや・・
そうではなく・・
男女全く隔離された別々の部屋がそれぞれの披露宴の会場になっているのです。
新郎新婦は両方の部屋を行ったり来たりしながら、皆から祝福を浴びます。
金持ち大家さんの娘の披露宴のように男女一緒に踊ったり(踊っている写真はこちら。)・・
・・・ということなどはもってのほか。
ここでは男女一緒の部屋でお祝いすることでさえ、ありえないのです。

ちょうど、向こうの扉から新婦が挨拶に入ってきました。
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私は一緒に行った夫とは別々に離されて・・
この文化を一目見られたことが幸いと思い、そして、大好きなイラン料理をいただきながら、
様子を見ていました。
お料理は豪勢なパーティー料理というものではなく、鶏肉料理にご飯・・という
一般的な食事だったと思います。例のコーラのビンも見えますね。

女性の会場では、皆が勝手に食事をし、お茶をいただきながら、雑談していて、
新郎新婦がやってきて、ゆっくり挨拶にまわってくると、それぞれ祝福の言葉をかけたり
写真を撮ったりします。

新郎新婦を囲んで。花嫁さん、とっても綺麗でした。[ぴかぴか(新しい)]
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女性の招待客の方と記念に。img059.jpg


招待客の男性陣とは帰るまで接点がありません。
私はそろそろお開きになるころ、
建物の入り口近くで夫とドライバーさんが待っていてくれたのでそこで落ち合い、
夫と共に、新郎新婦とも写真を撮ったりしました。

イランでスキーの記事の中でスキー場のゴンドラが男女別々に乗る・・という事を書きましたが、
こんなお祝いの特別な日なのに・・「結婚式でもそうなのか・・・」と思ったものです。

イランでは公共の場で男女が一緒に何かをやるということは禁じられているんですね・・
風紀が乱れる・・ということなのでしょうか。

でもレストランやスーパーやお店では男女が入り乱れ普通にお客さんとして入ります。
そして、街を走る公共バスの中は男女乗る場所
半分から前は男性・後ろは女性・・のように立ち位置・座る席が違うのですが、
乗り合いタクシーは男女一緒にのってもかまいません。
タクシーの方が密着度があるのに、不思議ですよね・・

建前と本音・・・あるんじゃないかしら・・?なんて思いながら、
何かと・・??[exclamation&question]ギモンを感じながらも・・
楽しく不思議イラン、異文化を感じていました。





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