17. 続・続 東西ドイツの出産 [1986年~91年東ドイツ回想録]
病院の窓からいつも眺めていたお庭・・・・
出産の翌日11月の後半のある日、この木々や落ち葉の上は真っ白な雪に覆われた。
入院の間にすっかり冬になっていたのだ。
いろいろあった出産だったのだが、なんとか無事だった。
病院のすべての方に感謝の気持ちでいっぱいだった・・・
10日後、退院。
さて、この退院までの間、夫は一仕事があった。
西ドイツで産まれた子供は、パスポートとビザがなければ東ドイツの我が家に
連れて帰れないのである。
以下は、数年後ドイツ駐在から本帰国し、夫が某週刊誌から取材を受け
海外勤務「とっておきの話」というコラム欄に掲載された文章を抜粋してみる。
夫がたくさんの話をした中で、記者の方が記事に取り上げたのはこの話題だった。
ただし、記者の方が文章と内容を構成しているので、ちょっと違うかな??というところも
あるのだが・・・
・・・・・・(略)、
駐在中の経験で忘れられないのは、【ベルリンの壁】がまだ存在していた’88年に
妻が出産したことです。分断国家であったドイツの「壁の厚さ」を身をもって痛感することに
なったからです。・・・・・・(略)万が一、自宅で産気づいたときでも、東ベルリンの救急車は
到着するまでに1時間近くかかります。これでは恐くて妻を寝かせておくことができません。
そこで、出産を控えた妻はかなり早くから、ビザを取って西ベルリンの病院に入院するのです。
・・・・・・(略)・・・・無事出産。ここまではスムーズに行きました。
ところが、東ドイツ側が子の入国を許可しないと言ってきたのです。
西ベルリンの役所で作成した「出生届」を持って当局に行ったところ、
「あなたと奥さんのパスポートだけでは、娘さんのビザは発行できない。
まず結婚証明書を提出してください。」結婚証明書といっても、西ベルリンですぐに
手に入るものではありません。日本から戸籍謄本をとりよせなければならず、
これでは何日かかるかわからない。何度も足を運んで交渉してみたのですが、
どうしても認めてくれません。結局日本大使館に泣きついて、戸籍謄本の提出は
免除となりましたが、おかげで妻とわが子は10日間も病院で足止めを食らいました。
その間、私はオロオロと、何度も東と西を行ったり来たりする羽目に陥りました。
二つの体制の違う国の間であわてた経験は両独が統一された今では、
貴重な経験と言えるでしょうね。
久しぶりに引っ張り出して読んでみたがけっこう脚色が入っている。
「?」・・と思えるところもあるのだが、読む方にとっては面白いのかもしれない。
とりあえず、完。
ご主人はきっとオロオロなんてしてなくて、てきぱきと、そして気持ちの余裕を持ってこの事態を一つ一つクリア知っていたのではないだろうか、と今までのブログのご主人像から想像しております・・・でも、娘さんのビザ発行にお二人の結婚証明書が必要!いやあドイツですねえ。それって、もし東側で出産して西側に移るなんて場合にも、西側でも同じことがありそう・・・書類が全ての国ですよね、まったく。
by めぎ (2007-10-11 19:52)
海外で暮らすのは、こういった手続きが面倒で大変のようですね。
窓口の担当者によって、言うことが違ったり、仕事がおそかったり、
イライラさせられる事が多いと聞きました。
分断されていたドイツでは、ことのほか、ご苦労が多かったように
思います。
by noie (2007-10-11 20:04)
冷静沈着なご主人さまとお聞きしていますので、
めぎさんが言われますように、テキパキと事を運ばれたのでは
ないでしょうか。ウチなら、オロオロではなくて、「なんでや?」と
問い詰めていることでしょう(^^ゞ
by (2007-10-11 22:25)
なるほど、政府が違うのだから、ここう言う事なのですね~!よその国で出産したと言う事ですものね。お二人ともそれぞれに大変な経験をなさりながら得た、大切なお子さん!このご苦労が昔語りになった事、感無量ですね。
by もとこさん。 (2007-10-11 23:22)
いろいろと脚色した方が読む人には面白いのでしょうね。
無事出産したあと、我が家に戻られるまでも大変だったんですね。
by miffy (2007-10-12 00:31)
もすごい体験ですね。 今のように、インターネットや携帯電話が普及してるわけでもなく、情報もなかなか入らない中で、二つの体制の間で生きていく大変さを感じました。
by Inatimy (2007-10-12 05:17)
東と西って全く違うんですね。
エピソードの一つ一つに不条理とそれに否応無く翻弄される人々のどうしようもない戸惑いを感じます。
貴重なお話しありがとうございました。
とても勉強になりました。
by (2007-10-12 06:05)
rinoさん こんにちは
話には聞くことがありましたが、実際体験された方の
貴重な体験話、ありがとうございました。
by やおかずみ (2007-10-12 11:12)
東西ドイツでのお産は、本当に大変だったのですね!
rino様ご一家に拍手&ナイスを∞!
by なお (2007-10-12 17:26)
今となっては貴重な経験ですね。誰でもできること、とrinoさんは謙遜されますが、長く住んで日々の色んな経験を積んでいるからこそ対処できることだと思います!お嬢さんがドイツに特別の心情を持たれるのもよく分かりますね。
by mint_tea (2007-10-12 21:02)
>みなさまへ
ちょっとお恥ずかしかったのですが・・
昔話にお付き合いくださいましてありがとうございました。
当時、ヨーロッパへの航空事情、直行便がなく(導入寸前だった頃だと思いますが)北廻りアンカレッジ経由を利用していた私は日本⇔ベルリン間が
とても遠く感じていました。ですからベルリンで出産することは迷いがなかったのです。
入院中は1日でも早く家に帰りたいと思っていた東ベルリンの我家でしたが、出産後1,2ヶ月の生活の方が実は精神的にずっとずっと大変だった
ことを覚えています。
冷静な夫ですが、こと出産に関しては全く知識がありませんから
本当に医者に全てあずけることしかできなかったでしょう。
「郷に入れば郷に従え」
言葉も自由にはならず、不安もあったからこそ、まっさらな気持ちで
素直になれた出産だったと思います。
読んでくださいました皆様ありがとうございました。
by rino (2007-10-13 11:17)
当時はさぞ大変だったことでしょう。
私は産後なの…なんて言えないくらい rino さんも
ハラハラされたでしょうね。
そうして誕生された娘さんは、なおいとおしいですね。
by きぃ* (2007-10-13 17:52)
東西ドイツの状況、興味深く読ませていただきました。
by krause (2007-10-14 08:25)
パスポートがないと西ドイツに帰れない・・・赤ちゃんも一人前の人間ですからね・・・。
by Baldhead1010 (2007-10-14 08:54)
ただでさえ不安がいっぱいの海外での出産を
東西の壁があるドイツで迎えられたのですね。
母は強し、といえどもさぞかし心細い思いもされた
んでしょうね。。。
病院の窓からの景色はとても素敵ですね。
ただパンとチーズだけの食事とか、日本語の通じない
病院スタッフ、私だったらきっと毎日半べそです。
rinoさん、偉いです。
by マダム・リー (2007-10-14 17:07)
出産されてから、そんなにタイヘンだったとは・・・。東西の壁の厚さが、日常生活のいたる所まで及んでたのですね。
ご主人様の当時の取材記事、貴重ですね~。脚色されてなければ、更によかったですのに・・・。
病棟からの眺め、素敵ですね~☆。ちょうどいい季節だったようですね!
by Mimosa (2007-10-15 01:35)
>ナイス、コメントをくださいましたみなさまへ
ありがとうございました。
島国で育っている日本人にとっては、「壁1枚で隣の国」、これに限らず
「隣の国とは地続き」という感覚はちょっと不思議ですよね。
なかなか日常からは体験できないことです。
出産にはそれぞれいろいろなドラマがあると思います。
ここでは、「ベルリンの壁」が崩壊寸前の1年前に出産したある日本人
駐在員妻のひとつの体験談です。
うまく文章にするのはできなかったのですが、他にも
入院中、また、分娩中、また子育て中、文化の違いなども感じました。
折りにふれて少し紹介できればいいなと思っています。
by rino (2007-10-15 11:43)
西ベルリンでのご出産、それに続く出生届け、
日本でならなんでもないことが、こと外国となると大変なことなんですね。
日本から出たことの無い私には驚くことばかりでした。
20年も前に無痛分娩が主流だったんですね。
お話読ませていただいて、沢山のことを知ることができました。
by きまじめさん (2007-10-18 23:44)
こんばんは。貴重な体験談に感動です。実は1986年、DDRにT社アパレルシステムの商談(2月)と設置、トレーニング(8~10月)で地方都市にいきました。帰国後、1991年4月、知人から週刊誌の切り抜きが送られてきており今年に入ってこの記事がどこの週刊誌だったのかネットで調べていたら貴殿のブログにヒットした次第です。ベルリンフィル鑑賞(1986/10/5)とオリンピックスタジアムでのサッカー観戦(1986/10/4)のチケットでお世話になったと思われるT社と同行したM社の一人です。私も渡航記録をまとめている中で2月の商談時、東ベルリンM/Pホテルでお会いしたN社のお二方を思い出せなく〇〇部長、〇〇氏などと記載したままです。当時の写真には2階レストランで駐在間もないご主人との写真も残っています。1998.12年まで検収がずれ込んだT社のT氏もこのブログを既に知っており私宛にメールがありました。貴ブログをとにかく楽しくはらはらとまた懐かしく拝見させていただきありがとございます。帰国後、1986年当時のDDR側通訳(女性)の方が日本の方と結婚され来月東京で30年ぶりにお会いする予定です。初めての不慣れなコメント(乱文と長文)で大変失礼しました。今後のブログを楽しみにしております。
by kazu-nori (2018-11-22 17:34)