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ヒミツの飲み物 [イラン滞在記1995年~99年]

前回のブログ記事、「我家のヒミツ・・」ってちょっと気になりますよね。
今日は予定変更でヒミツのお話に触れてみたいと思います。

現在のイランは酒類の販売と飲酒は固く禁じられています。
人々の日常生活と社会全体はイスラム教と深く、深く結びついているんです。
これは、1979年のイランイスラム革命を経て、人々が望んだ宗教的生活です。

憲法はイスラムの精神向上を目指したイスラム教義に基づいて、
文化・社会・政治・経済の原則を決めました。
社会を治める法律は、コーランやスンナを考慮して条例を制定します。
イスラムの観点からすると、政治は特定の階級の利益のためや、
秀でた個人またはグループのためのものではなく、
共通の宗教と宗教観を持つ人々の理想政治の結晶でなければならないのです。
ですから、国民の意思は政権を選ぶときには反映されますが、
政治の原則とか、基本制度は選挙や投票によるものではなく、
イスラムのコーランと神の御心により定められるのです。

イスラム教は難しく、奥深く、
勉強をしていない私にはよくわからないのですが、
イスラム教国に住むということは全く違う世界観の中で
生活するということでもありました。

イランではどこのお店に行っても、その「美味しい飲み物」は売っていません。
外国人だからと言ってホテルやレストランで売ってもらえることもありません。
どこにも無いのですから。
レストランでの食事のお伴はほとんどイラン製コーラでした。
アルコールが得意ではない私にはそのこと自体全く問題なかったのですが、
その美味しい飲み物がお好きな方でしたら、
滞在が長い期間続くと・・やっぱり寂しいものですよね。きっと。
わが夫も例外ではありません。
飲んでいい気分になる=退廃的な生活・・・というイスラム的な考え??は
イスラム教徒ではない私達にはおかまいなし・・でした。
仕事から疲れて帰ったとき、お食事のとき、パーティーのとき、
お客様を接待するとき・・
そんなときは潤滑油の一つとしてやはり必要なものでした。
外からは見えない、家の中だけで可能な事でしたけど。

「郷に入れば郷に従え」・・は好きな言葉なのですが、
イスラム教徒ではない私達は・・大きな声では言えませんがそこは暗黙の・・。
隣国から山越えしてくるルートだとか。こわっ・・
外国人に対するこういう稀な暗闇のお仕事も実は秘かに・・。
もちろんそういう商売をしている現地の方は見つかってしまえばご法度。
ですから、搬入のときは何とも言えない気持ちで私はハラハラ怖かったものです

日本からの仕事関係のお客様、出張者・・
何日間も3食全部イラン料理というのもしのびなく、夕飯は我家で接待ということがほとんど。
お仕事関係というのももちろんですが、
もうほとんど人道的(?)に・・・・お料理担当の私はそんな気持ち。
そういうわけで我家では、必死に日本料理でした
そんな時、美味しいヒミツの飲み物は大いに一役買ってくれたものです・・・



イラン革命(1979年)
国王による圧制、アメリカの強い後ろ盾のもとに進めた工業化は貧富の差を広げ、
農村の荒廃を招く結果となっていきました。
民衆の反感は強まり、各地でデモがおこり、広がっていき、
パーレビ王政滅亡へと向かっていったのです。
1979年、イマーム ホメイニは歴史上かつて例がないほどの歓迎のなか亡命先のパリから
帰国を果たし、イラン革命を率いる最高指導者に就任しました。
この革命前のイランはパーレビ国王が西洋化、近代化を推し進めていて
アメリカナイズされ、バーやディスコもあり、女性はミニスカートをはいていたそうです。
しかし、人々は革命を経て、敬虔なイスラム教国家を望んだのです。



 イマーム ホメイニ師の凱旋帰国 (1989年没)

写真・参考:イラン大使館発行資料「イランイスラム共和国」


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コメント 26

いっぷく

の前半までは日曜日にはスーパーの
お酒売り場は布がかけられて販売していませんでした。
私は飲まないので気になりませんでしたが、いつしかこの習慣もなくなり
いつでも手に入ります。どんどん変わって行きます。
イランは現在世界の注目度が高い国家で興味深く見守っています。
by いっぷく (2008-02-22 19:41) 

なお

あら、ちょっと怖いわよ・・・・

真面目に秘密のルートだったのですね(汗)

トルコとイランの(ご近所だし)文化似てるなぁと拝見してましたが
(トルコにはラクという酒があるですが・・)

日本料理には、日本酒やみりんもあったりして・・
イランの人は、日本で暮らせませんっジャンっおーまいがっ!
by なお (2008-02-22 19:44) 

我が家で接待って・・・それは私なら「ひえーーーっ」(>_<)となります。
でも、その受け渡し^^;の時って、ちょっとドキドキしませんでしたか(^^)
あっ、私は、イランで生きていける人です、、お酒なくても大丈夫。
by (2008-02-22 19:51) 

krause

私にとっては辛い国ですが、家内にとっては強い味方にな国です。
by krause (2008-02-22 20:52) 

naomama7

rinoさま♪接待って・・・大変でしたでしょう?
人を招くって大変ですよね。そして日本食・・・と気を使われてるから。
すごいですねぇ。秘密の飲み物。。。秘密だから余計に
美味しく頂けるように思えます(笑)
受け渡しはドキドキですが。
by naomama7 (2008-02-22 20:55) 

miffy

やはりイランは厳しいですね。
他のイスラムの国では外国人だと普通にお酒飲めますものね。

前回のチャイの話ですが、チュニジアではチャイにアーモンドや松の実を浮かべたものがあってとっても美味しかったです。
モロッコは生のミントを入れてました。
エジプト、シリアなど他の国はトルコと同じですね。
by miffy (2008-02-22 21:23) 

hoppe

来世はイラン人になる計画・・ 少し考えよう。。(笑
by hoppe (2008-02-22 21:29) 

noie

私も下戸なので、イランでも困らないかもしれません。^^
・・・が、お料理には、お酒を使いたいですね。
イラン製のコーラのお味は?
by noie (2008-02-22 21:53) 

mint_tea

厳しいのですね~
文化も習慣も考え方の根本も違う国での生活は、
息抜きは必需品ですよね~。
ご主人の仕事関係の方への接待も大変だったと思います。
二人三脚だったのですね。
日本料理を振る舞うrinoさんが目に浮かびます。
見習わないと…(^^;)!!!
by mint_tea (2008-02-22 23:00) 

Inatimy

アルコールなくても、ないならないで大丈夫ですが、
イスラム教って豚肉食べちゃダメなんですよね? 
それが、つらいかも。 豚さん大好き♪なので。
Rinoさんの接待料理も、豚さん無しで、だったのでしょうか? 
それとも、ヒミツの・・・? 
by Inatimy (2008-02-23 00:41) 

gehirn

今の私ならイランはOKですね。
10年ぐらい前までは、夫と毎晩ワイン、ビールと飲み放題。
挙句の果てに、急性膵炎・・・
それからお酒をやめました。
辞めてよかったこともいっぱいあります。
夜の時間を有効に使えること。
でも・・・アメリカにきて、少しですが飲むようになりました。

お客様の接待は大変ですね。
日本料理をするということは、それなりの道具がそろっていないと
できないですし、食材はどうされていたのでしょう。
イランでも日本の食材売っていたのですか?
by gehirn (2008-02-23 03:29) 

お酒はからきし飲めませんので、その点では、すぐに同化できると思いますが、異なる世界観の中で生活するというのは、それまでの生活との様々な矛盾点が一気に吹き出してくるのでしょうから、それに慣れるまでが、ご苦労かと思います。ただの、外国に行っても、旅人でしかない私には、未知のお話ばかりで、とても、興味深いです。
by (2008-02-23 05:13) 

めぎ

日本からのお客様は和食を期待しているでしょうからねえ。しかもご主人の仕事上の関係でいらっしゃるとなると、rino様のバックアップは大変だったことでしょう。デュッセルドルフは恵まれていますね。日本食レストランに行けば好きなもの食べられますからねえ。
私のうちは、留学生をお招きすることが多いのですけど、高い日本食レストランにそう簡単にいけない学生さんたちに日本食をご馳走しようか、せっかくドイツにいるのだから本物の美味しいドイツ食を味わってもらおうか、いつも迷います。結局、うちのドイツ人に料理してもらうことが多いのですけど、たまに和食にすると、みなさん目を輝かせて喜びます。やっぱり、和食が恋しいんでしょうねえ。
by めぎ (2008-02-23 06:09) 

Ballacki

おはようございます^^
rinoさんのブログの記事を拝見しているだけでなんだかドキドキ。
秘密の飲み物を運んでいる自分を想像してました^^;
のんべえなんで私は住めない国ですね^^;
by Ballacki (2008-02-23 07:22) 

マダム・リー

わぁ、ドキドキ。
お酒をあつかっていることがバレて捕まると
厳しい罰則が待っているのでしょうか?
想像のできない世界です。
限られた材料で和食の接待、大変だったでしょうね。
でも、接待をうけた方達にとっては忘れられない嬉しく
美味しい想い出となっていることでしょう。
by マダム・リー (2008-02-23 08:48) 

rino

>いっぷくさま
国や時代によってさまざまなんですね~
24時間、家にいながらでも、いつでも何でも手に入る今の生活って
本当にすごいですよね。

>なおさま
怖いお話ですよね。
ここに仕事として滞在している非イスラム外国人としては
暗黙のうちに・・普通のことだったと思います。
トルコはイスラム教ですが、比較的ゆるいです。
お酒も飲めるし、女性の服装も自由な感じです。

>夢空さま
私もアルコールが苦手なので全く問題なかったのですが、
一般的に、非イスラムの国の外国人にとってはこのような
闇ルートはとてもありがたかったお話です。
搬入のときは庭まで車が入って、黒いビニールで覆われたブツを
運び込むのです。私はノータッチでしたけど。
日本料理・・というより日本料理もどき・・でした(^^;)

>Krauseさま
わが夫もソレがないと寂しいタイプなので、krauseさんのお気持ちは
わかります。。でも飲みすぎはだめですよ~(^^)

>naomama7さま
そういう国だからこそ、日本的な食事はどんなものでも
ありがたいものですよね。外では日本料理レストランは
なかったですから。(厳密に言えばあったみたいですが、
一度も行ったことがなく、和食と呼べるものでもなかったのでしょう。)

>miffyさま
いろいろなお茶の飲み方がありますね~
貴重なコメントありがとうございます。チュニジアのお茶は
美味しそうですね!トルコのお茶は濃くだしてお湯で割るのでは
なかったでしょうか・・?ちょっと記憶が薄れてきてしまったのですが。

>hoppeさま
あら、、美味しい飲み物はなくても果物天国ですよ~~
それに日本と同じ家賃でもひろ~~いお家に住めますよ~~

>noieさま
イラン製のコーラは、コカコーラに味は似せていますが、
ちょっと甘いかしら・・・?やはりホンモノの方が美味しいですよ。

私もお料理のため本当に日本酒がほしいと思いました。
日本酒は全く手に入らなかったですね。一番難しかったです。
一度、「日本からの乾物や調味料を送ってもらう箱の中に料理酒を
一本でいいから入れて送ってもらいたいのだけど・・」・・と
夫に相談したところ、
「一本のお酒のために他の食材も届かなくなる可能性がある。
それは他の日本人にも迷惑がかかることだから。」
と、すぱっと却下されました。やはり荷物の検査はありましたから。
だから、あきらめなければならないことでした。
その代わり、みりんを調味料ということにして送ってもらっていました。
みりんだって微妙のモノですけれどね。
だから日本料理・・ではなくいつも日本料理もどき。
下手な家庭料理ばかりだったんですよ・・(^^;)

>mint_teaさま
イランはイスラム教が厳しい国でした。
また、記事に書こうと思っていますが、女性の服装にかんしても
旅行者でも守らなければなりません。
イラン時代は外でイラン料理を食べる以外は家で何か作らなければ
何も食べれませんから、下手ながらも本当によくお料理はしました。
でも今は・・・手抜きが多くて・・反省(^^;)

>Inatimyさま
イランには豚肉も全くなかったです。
豚肉は美味しいし、お料理しやすいですものね~
そこはヒミツの・・・はなかったですよ。(笑)
ヨーロッパに休暇で出た時は豚!豚!って感じでした(^^)

>gehirnさま
禁酒をするにはイランは逆にとっても良い国だと思います。
少しのお酒は気分転換にもよいのだと思いますが体を壊して
しまっては大変ですね。
接待は大変でしたが、勉強になったこともたくさんありました。
無いからお料理をする・・・本当にそうなんです。
日本の食材は調味料程度のものは日本人がよく行く
特定のバザールにですが、売っていました。
イランは野菜が豊富で美味しいので助かりました。

>自由人さま
お酒だけでなく、娯楽があまりない国なので
やはりストレスを感じることはあるかもしれませんね。
それで、ヨーロッパなどへの旅行で大いに楽しんでいたわけです(^^;)

>めぎさま
デュッセルドルフは本当にいいと思います!!
外でいくらでも夕食を共にする所がありますものね。
家での接待はないのではないでしょうか。もちろん、プライベートで
お友達家族を招くということはあるでしょうけど。
あ、でも今のデュッセルの夫の家ではそれもできないのでは・・。
道具も食器もお客さん用にはそろえていないようで・・。
学生さんたち、ドイツの家庭料理をいただけるなんて
幸せなことですよ~~

>Ballackiさま
お酒がないと・・という方には非常に厳しい国だと思います。
他に娯楽もあまりないですしね。
果物や野菜は沢山ありますよ。

>マダム・リーさま
見つかったら逮捕されてしまうでしょうね。きっと。
そんなことには遭遇しなくてよかったですけど・・
でも搬入のときは庭に車を入れて、外からは見えないように
なっているんですが、
階下に住んでいる大家さんなどはそれを見ても、
「ああ、運んでいるのね。。」っという風に
外国人なら当然よね・・と言う感じで理解をしていました。
だから外国人に対するものはやはり特別待遇だったかもしれません。

限られた食材での和食もどきのお料理は大変でしたが
これでもかとお料理をした時期だったので勉強にはなりました。
今は・・・・手抜きが多くて・・はい、反省。。。
by rino (2008-02-23 11:02) 

やおかずみ

お話をお聞きすると、何でも手に入らないものがない
日本という国は、特殊なのかとも感じます。
by やおかずみ (2008-02-23 11:08) 

Baldhead1010

アルコールがない国・・・こっそりエチルアルコールを買ってきて、薄めて飲むとか^^;
by Baldhead1010 (2008-02-23 15:32) 

rose

最近、ペルセポリスというイランを舞台にした映画を見ましたが
興味深かったです。ちょうど1978~革命後ごろの話でしたよ。
お酒を隠す場面とかも出てきて、緊迫した空気が漂っていました。
あんなカンジだったのですかね・・・。
by rose (2008-02-23 18:21) 

もとこさん。

革命後のイランを垣間見せて頂きすごく嬉しいです。
革命前のことをこの欄に書き始めたら、長くなってしまったので、私のブログにrinoさんに呼応して書かせていただきます。いいですか^ー^?
by もとこさん。 (2008-02-23 18:39) 

rino

>やおかずみさま
ここ数年を取って見ても、日本はますます便利になって
いきますね。お金さえあればいつでも手に入る。
そういう国で育った子供たちが外国で困るのではと心配になります。

>Baldhead1010さま
エチルアルコールなら売っているのか・・・?
薄めて飲むっていう発想、おもしろ~い(笑)

>roseさま
イランの映画って意外と評価されていてたまに上映されますよね。
私も数本見たことがあるのですが、ペルセポリス・・と言う映画
興味深いです。

>もとこさん
私こそ、もとこさんのお話をすごく聞きたいと思っています!
革命前のことは風のうわさで聞く程度でそれを実際に見ている
日本人はそんなに多くはないのでは・・と思います。
もう引退されている会社の大先輩などはその時代に駐在し
経験されている方もいましたが。
↑roseさんのコメントにもありますように、革命のころ、前後の違い・・
どんな様子だったのだろう・・と興味深いです。
記事、楽しみにしています!
by rino (2008-02-24 07:49) 

Mimosa

イランは、イスラム教の厳しい国だったのですね~。今でもそのままですか~?
秘密の飲み物の搬入、やっぱりドキドキするものなんでしょうね~。でも、それを乗り越えて、味わえる美味しさは格別でしょうね。
rinoさんの接待料理、美味しかっただろうな~♪ でも、イランでは、日本の食材は簡単に入らなかっただろうし、タイヘンだったんじゃないですか?
by Mimosa (2008-02-25 01:33) 

ひろママ

聞ーいちゃった~~聞いちゃった~~~<ヒミツ
闇ルートなんて聞くとちょっと怖い感じがありますね
決まりを破るのって罪悪感とワクワク感と入り交じったみたいな?
by ひろママ (2008-02-28 20:57) 

もとこさん。

まとまらない文章ですが、革命前のテヘランについてブログを更新しました。是非いらしてください。
by もとこさん。 (2008-02-29 03:08) 

rino

>Mimosaさま
イランでは日本の基本的な調味料(醤油・味噌・ブルドックソース・
マヨネーズ・カレールーなど・・)なら手に入りましたが
食材はなかったです。
うちは夫の会社を通して乾物や調味料やインスタントのものなど
日本から送ってもらっていましたので幸いしました。
接待料理なんてたいしたものではないんですよ(^^;)
本当に家庭料理でした。

>ひろママさま
なんかちょっと怖いですよね・・
実は私も過去のこととは言え、なんだかブログに書くのを
どうしようかと迷ったくらいなんですよ(^^;

>もとこさんさま
本当にありがとうございます♪
by rino (2008-03-01 16:46) 

mompeli

今イランに知り合いが赴任しているのですが やはり女性は何するにも制限があるようで それを苦にせず楽しめる人でなければ長期滞在するにはなかなか大変なところですね。イランの女性が描いた「ペルセポリス」というマンガがあるのですが イラン革命の前後を子供の視線からかいている話で とても面白かったです。
by mompeli (2008-03-04 12:43) 

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