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4. 東ドイツの選挙事情・・私が聞いたハナシ [1986年~91年東ドイツ回想録]

今日、日本は第21回参院選、国政選挙の日だ。
私は早々に投票を済ませ、このブログを書いている。

私が東ベルリンに住んでいた頃、滞在3年目頃から東独人女性から家庭教師としてドイツ語を教えてもらうようになった。彼女は背が高く、金髪のロングヘアー、年齢のわりには大きなお嬢さんが二人いる美しい女性だった。
取り立てて反政府だとか、変わった思考の持ち主だとか、そういったこともなく私が思うに、ごく普通の階層の市民だったと思う。ただ、外国人家庭に出入りするわけだから、冒険心や、西側へのあこがれはある方だったかもしれない。
ドイツ語の文法を学びながらも、私が勉強が嫌になるとお茶を入れておしゃべりをし、それでその日の授業が終わってしまうなんていうこともたびたびだった。彼女は私を信用してくれていて、誰にも話さないようなことを随分話してくれた。「うちには盗聴器があるかも!」と言うと、そんな危険な話のときは声をひそめて、それでも何より私を信頼して話をしてくれることがとても嬉しかった。
その頃の私のドイツ語と言えば初級クラスを繰り返している程度だったが、気心も知れて仲良くなってくると相手の言っていることがなんとなく解かるものだ。
それでも一応ドイツ語のレッスンと称して我が家にやってくるわけだから、
会話の中でわからない単語は遠慮なく聞けるし、それでもわからなければ辞書をひけばよい。

そんな話の中で特に衝撃を受けたのは選挙の話だった。
東独の選挙投票率は100パーセントに近い数字だった。
まずこの事実だけでも日本では考えられないことだが、それには仕組みがあるという。
まず投票には絶対行く。行かないと誰が投票してないかわかってしまう。
投票しない=反政府=その家は出世できない・・という仕組みができあがっているという。
投票用紙には反対のときだけ何か書くようになっていて、誰が反対したかはすぐにわかってしまうから反対はなかなかできない。
私のドイツ語力と記憶の力では曖昧さが残ってしまうが、なんとなくどういう状況なのかはおわかりになるだろう。
それまでもそういう国だということはわかっていたつもりだったが、実際に生の市民の声を聞けて、「やっぱり本当なんだ。何のための選挙なの?共産主義って・・・・。ここを変えればもっと国が変わるかもしれないのに。」・・・なんて偉そうに夫にそんな論議を持ちかけたりしたものだった。
そして、何か私の心の中にずっともやもやした気持ちが残ったのは、彼女がそれを家族以外の東独人に言うことができないという事実だった。
言論の自由はない国だった。

東ベルリン時代の ウンターデンリンデン


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