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15. 東西ドイツの出産 [1986年~91年東ドイツ回想録]

東ベルリン滞在は5年弱だったのだが、その真ん中あたりで私は第一子長女を出産した。

これまでにも私の東生活は度々記事にしてきたが・・
東に住んでいながら、私の生活自体は大まかに言えば、西側の人、
つまり今まで日本でしてきた生活と何ら変わりはない、ただ生活の中に
国境があるというだけだった。
もちろん、生活の中の国境があるだけ・・と言ってもそれはとても大変なことでは
あったのだが、その一番大変なそれさえ除けば・・・・
東西の国境を自由に何度でも往来できるビザがあるわけだから、
買い物もお金さえ出せばなんだって西側に行って買えるわけだし、
当然当然、言論の自由もある。
東独人が長い年月待ってやっと取れる運転免許だって西のお金さえ払えば
すぐに試験が受けさせてもらえた。
旅行だって縦横無尽。ドライブ旅行の他にも、スペイン、オーストリア、パリ、ロンドン・・・と
ここはヨーロッパとばかり西側へ向けて出かけて行った。

そんな生活だったので病院も、西側の病院ということになる。
何も考えずにそれは自然の流れだった。
そして、同じく東ベルリンに住んでいらした日本人奥様が西ベルリンの
マルチンルター病院で出産経験があるということを聞いていたので、
私達はその情報を頼りに、また他には情報源もなく1にも2にもその病院を選んだ。
又、夫の事務所の東ドイツ人の営業担当の年配女性スタッフのダンナ様が
東独の有名な心臓外科の先生だったので何かあったらいつでも言ってきて。と
心強い申し出もこんな時にはとてもありがたかった。
日本企業の現地スタッフである彼らも日本人が西側でなんでも調達している事は
知っていたし、それも当然のことだと考えていたであろう。西のものが何でも
高品質であることぐらい、政府がいくら隠していても東ドイツ人はとっくに知っていたのだ。

マルチンルター病院へ行くには、東ベルリンの家から
ベルリンの壁にある例の国境検問所チェックポイントチャーリーを抜けて西ベルリンへ出て、
そこからバスで30分くらい。タクシーでも20分ぐらいだったと思う。
病院は産婦人科が有名な病院で、そこの病院長のプロフェッサーが私の担当になってくださった。
そんなに大きな規模ではなく、住宅街の真ん中にある環境の良いこじんまりした病院。
中には小さな礼拝堂があったり、ちょっとしたお庭もあった。
私は結局、妊娠中トラブル続きで、滞在中、この病院に随分長い間お世話になることになった。

つづく。


病院の部屋。


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