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13. 東で思うこと。。。3 [1986年~91年東ドイツ回想録]

今の旅行ガイドブックを見てみると、ベルリン散策の見所は
旧東地区が代名詞のようになっている。
確かにブランデンブルグ門を通る目抜き通りウンターデンリンデンはパリのシャンゼリゼのような
ゴージャスな華やかさはないがどっしりとした重厚感があってかつての
ドイツ帝国の繁栄が偲ばれるような歴史の重みを感じさせる。
1989年に訪れた私の母も東の方が雰囲気がいいとお気に入りだった。


シュプレー川と歴史博物館(東ベルリン)

正直に言って、私が元気に西ベルリンの学校でドイツ語を習っていたころ
東にはあまり見向きもしなかった。
それに、うちには東のお金を普段からあまり用意してなかった。
西ベルリンで生活の全てを調達していたので必要なかったからだ。

そんな日常ではあったのだが、週末にはたまに夫とドライブで散歩もしたし、
平日も本当に時間があるとひとりで東を散策をすることもあった。
しかし、自分の住んでいる家がある街にもかかわらず、家からちょっと遠く離れると
なんとなくなんだが、不安な気持ちになったものだった。
東には一般的に言えばサービスという観念が少ない。サービスに慣れきっている
日本人である私には、情報も案内もない街は不安だった。
少ない情報をキャッチするほどまだドイツ語ができるわけではなかったし
多分英語もあまり通じないだろうと思っていた。
きっと、つたないドイツ語で話しかけても、素っ気無い態度に違いないし
一般の東独人は外国人と親しくなりたくても公然とはできないはず。
だから、こちらから接触するのも私の心のどこかで遠慮があった。
タクシーもほとんどないのでいざとなってもタクシーも使えない。
なんとも言いがたいが、暗くて、寂しい印象はぬぐえなかった・・

これは私の思い過ごしだったのか・・?
多かれ少なかれこれは当たっている部分もあると思うが、本当は親切な
国民であることはわかっていた。
外国人との密接な関係を持てないような体制なのだから、
こういう雰囲気はしかたのないことだと思ってもちろん納得していたのだが。

一人で出るときはいつも少し緊張感を持って、そしてものめずらしさ半分
おっかなびっくり歩いていたような気がする。
バック・トゥーザフューチャーと言ったら大袈裟だが、生意気にも一人
「先進国から来た人・・」みたいな気持ちにもなっていたのかもしれない。
隣の国である西ベルリンでは路線図片手に地下鉄でも市電でもバスでも縦横無尽に
平気で出かけるようになっていたのに自分の家の近くを歩く方が緊張するなんて・・・
なんかおかしな話である。


東ベルリン大聖堂、テレビ塔


ジャンダルメン広場で友人と。

しかし、それでも東ベルリンは私は大好きな街だった。
いろんな思いを抱きながら、5年の月日を季節と共にながめてきた。
街自体の雰囲気は厳かな感じでとても素晴らしかったのだ。
しっとりと静かに昔の面影がところどころに残っていた。
手が加えられ残されている美しさではなかったかもしれないが、ただ素朴に残っていた。
よく調べてみると、オペラもバレエも演奏会ももちろんちゃんと行われていたし、
世界遺産である博物館島も世界的にスケールも大きくて素晴らしかった。

まさかあともう数年先にはこの国がなくなるとは思ってもみないわけだから
今のうちに見ておこうなどと焦ったりはしていなかったのだ。


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